2023/04/06(木)09:43
新聞配達の経験が、私の宝物です。
おはようございます。
私は、子どもの頃から
早起きでした。
早起きは三文の徳。
ーと父親から教わりました。
男3人兄弟の次男坊です。
晩御飯は
いつも,食べ物の取り合いでした。
私は、子供のころから、
慌てるクセがありました。
落ち着きのない子だね~。
・・・・と近所のおばさんたちにも、
言われていました。
でも、人間誰でも、欠点がある。
声が大き過ぎる。
その欠点を笑いに変えて、
人間掌握術のヒントにしようと、
考えたのが、大学生時代の
新聞配達のアルバイトです。
(新聞奨学生)。
貧乏学生でした。本当に、貧しかった。
奨学金だけでは、生活できません。
収入を増やすために、営業活動をしていました。
新規客獲得のため新聞拡張の営業です。
当時は、読売、毎日新聞が、ライバルでした。
私は、朝日、東京、サンケイ、日経新聞を配っていました。
1968年ごろ(昭和53年)の夏? 秋ごろ、
学生の中で、
拡張NO1に選ばれました。
コツが見えたのです。
それは、相手が、今何を欲しがっているのか?
・・・・これを把握することだと。
起床は、毎朝3時30分でした。
夜8じごろ~9時ごろには、床に入っていました。
そんな生活をしていました。
学校には、ほぼ毎日通っていました。
あるお宅に新聞拡張に出向きました。
「オレは、自宅を朝5時には、出る。
新聞の銘柄は、気にしない。
朝4時半まで、投函できるか?」という質問を受けました。
そのお客様の家への配達時間は、それまでは、
通常6時ごろでした。
ライバルの読売新聞も、毎日新聞も、ほぼ同じ時間でした。
私は、その方が、朝日新聞を読んだことのない方で、
サンケイ新聞、
東京新聞を見たこともない。
・・・・・・・という情報を武器に、
新しい角度で、新聞を読まれたら、どうですか???
・・・・という提案をしました。
見事に、成功。
サンケイ新聞の内容の面白さを薦めました。
朝は、4時半に配達を続けました。
投函する時は、
「おはようございます。朝刊です~」と玄関の前で、
声をかけて、配達をしました。
しかも
隣り近所の家迄
聞こえる声で。
大き過ぎる声を
活かそうと考えました。
すると、近所の家からも
新聞を配達して欲しい。
ーと言われました。
そして、昭和54年
最終日3月31日付けで、
退職する時、
そのご主人様が、
玄関前で、立っているのです。
「おはようさん~、 学生さん。
よく、オレの為に、朝刊をいつも、いつも4時半に届けてくれた。
ありがとうね~。
餞別だ。 」と封筒に3,000円入っていました。
新聞代金が、2,000円ぐらいの時代の3,000円です。
最初は、ご丁寧にお断りしました。
でも、あまりにも熱心に勧められたのです。
「ありがとうございます。」・・・・と言いました。
人間関係のまったくない街に住んで、
信用を得る。
ただひたすらに、ただひたすらに、
毎朝、新聞を読みたい人の為に。