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2008年08月01日
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【正論】慶応大学名誉教授・神谷不二 北独裁の3代世襲は難しい(産経新聞・正論)

 ≪自前で食えない社会主義≫

 佐藤栄作内閣が朴正煕政権との間に日韓国交回復正常化を実現したのは、戦後20年を経た1965年のことだった。翌66年から、私は韓国へよく出入りするようになった。その年私は中公新書『朝鮮戦争』(現在は中公文庫)を世に問い、幸いそれは日韓双方で多くの読者を得た。韓国では海賊版が横行した。

 さて、当時韓国と北朝鮮の力関係はどんな状況にあっただろうか。南北の経済比較となれば、今日韓国が圧倒的優位にあるのは天下周知である。北の「ウリシク(われわれ式)社会主義」はいつまで経っても、外国の援助なしに自前で食ってゆくメドさえ立たない

 とはいえ、いまから40年前、1960年代後半から70年代初めにかけてのころには、北は軍事力の面で韓国の大きな脅威であったばかりでなく、経済力でも韓国を上回っていたのである。

 韓国の指導者たちも北の優位を率直に認めながら、「数年先を見ていてください。われわれはきっとやつら(北のこと)に追い付き、追い越しますから」と、カーフュー(夜間外出禁止令)の制限時間ぎりぎりまで熱く論じてやまなかった。

 当時、中央政庁の正面に「増産、輸出、建設」のスローガンが(まだハングルではなく漢字で)大きく掲げられていた光景を、私はいまも忘れない。

 朴政権の「開発独裁」路線はまさに、北に追い付き追い越す国家建設競争こそが、目標であった。

 ≪北が国際支持集めたころ≫

 このような南北の力関係は必然的に、韓朝双方の国際的受容度にも影響を及ぼした。両国はともに1948年に独立を宣言したが、国連における承認国の数では、久しく南が北をはるかにリードしていた。朝鮮戦争(1950~53年)で韓国は国連軍、北は侵略者だったからである。

 60年代に入ると、しかし、雲行きが変わる。61年にクーデターで発足した朴政権の正統性について、アメリカはじめ国連加盟諸国は当初から批判的だったし、経済力で優位にある北を差し置いて韓国だけを承認するのに異を唱える国も出た。

 加えて、ようやく世界の潮流になりつつあった中国国連代表権問題の高まりも、北の国際的受容を後押しした。

 こうして、60年代末には北の承認国が急増し、やがて韓国承認国を越す可能性さえ論議されるにいたった。今日では信じがたいことだけれど、当時ソウル言論界の一部では、承認国の数で将来北に負け、台湾の憂き目を見ることまで心配するくらいなら、いっそ先手を取って、韓国は今後国連と関係を持たぬむねの宣言を出してはどうかといった極論さえ、まじめに論議されていた。

 1970年代半ばに差しかかるころまでの南北力量の比較は、おおむね以上のような状況だった。このことは何を意味するか。

 ≪独裁制にも自ずと寿命が≫

 いまから30年ないし40年前までは、朝鮮半島南北の体制間競争、国家建設競争で、北が優位に立っていた。そしてその後数十年の間に、金日成、金正日の独裁者二代は、チュチェ(主体)という独善空疎なイデオロギーに自己陶酔するのみで、この折角の優位を活かすどころか、それをただ食いつぶしてしまった。これが赤裸々な歴史的事実なのだ。

 いまとなっては対南優位の回復どころか、北は南の援助がなければ生きて行けない境遇にまで落ち込んでいる

 無為無策の責任は、挙げて金日成、金正日の父子連帯で負うべきものであろう。これこそが金王朝の実態にほかならない

 なおこの機会にあえて大胆な予測をするならば、近年さまざまに取沙汰されている金正日後継者問題について、私は世襲第三代の実現可能性はほとんどないと見ている

 北の超独裁制がいくら特異なものであるとしても、世界の歴史に徴して見れば、独裁制にもおのずから寿命があるのは明らかであろう。

 まして北朝鮮の心ある人々は、過去数十年二代にわたる失政の連続を、いやというほど見せつけられてきたはずだ。

 いくら「偉大なる首領様」がすべてのこの国とはいえ、彼ら憂国の士は漫然と三代目を迎えることに抵抗するのではなかろうか。そして、それをきっかけとする体制変革こそ、この国の存続にとってラスト・チャンスになるのではないか。

 スターリンの後には「非スターリン化」が、毛沢東の後には「非毛化」が行われた。金正日に「非金日成化」を行う能力がなければ、その後にそれを期待するしかあるまい。(かみや ふじ)



昔から海賊版とかやってたんだな、この国。

 まぁ~それは置くにしても、この正論はあまりに期待値が高すぎはしないだろうか?北朝鮮が崩壊するって言葉は、今までに何回も語られて来た。その全ての期待を裏切って北朝鮮はいまだに存在してる。確かに自前の食料は無いにしても、南朝鮮(韓国)の支援を勝ち取ったのは南朝鮮の国内事情も有るけれども、その状況を作り出しているのは北朝鮮の外交ではないのか?
 仮に金王朝が倒れて、前々から言われている様に軍部主導型政権が出来たとして、日朝問題がそれで解決するのかは大きな疑問だ。日本から支援が欲しいために、拉致問題は一定程度の進展はするかもしれないけど、核は無くならない。北朝鮮が核を放棄する事は無い。金王朝が倒れた所で、その後の政権が必ず親日国家になる訳ではないのだから、金王朝が倒れると言う事は拉致問題にとっては進展する可能性があると思うが、日本の安全保障の改善にはならない。
 北朝鮮の体制を期待出来る物にする為には、外からの圧力で体制の変換をさせないといけないと思う。
 そして六者協議はまったく当てにならない。見事にアメリカに置いて行かれましたからね。日本は六者協議でずっと孤立してましたが、ここまでコケにされるとは正直思って無かったです。私自信の認識もかなり甘かったと思いますね。今の六者協議は、「将来の日本を管理するためにあるのではないか?」とまで疑ってしまいます。
 私は元々あんまり期待していませんが、これで日米安保は形骸化は決定したと見るべきかもしれません。
 
 中国ともロシアとも北朝鮮とも戦ってくれない米国など要らないのですから。日本もそろそろ覚悟を決めるべきでは無いでしょうか?





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最終更新日  2008年08月01日 20時43分56秒
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