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テーマ:ニュース(100158)
カテゴリ:新聞
【麻生首相ぶら下がり詳報】靖国神社への真榊奉納「朝日新聞に説明する必要ない」(21日夜)(1/2のみ転載)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090421/plc0904212057019-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090421/plc0904212057019-n1.htm 麻生太郎首相は21日夜、靖国神社の春季例大祭に合わせて「真榊(まさかき)」を奉納したことについて「真榊料を納めるか、自分で行くかの理由を朝日新聞に説明する必要は感じない」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。 ぶら下がり取材の詳細は以下の通り。 【靖国神社真榊奉納】 --最初の質問です。靖国神社に「内閣総理大臣」名で真榊を奉納したということだが、いかなる考えに基づいているのか 「昨年10月も、真榊を納めたと記憶しますが。昨年10月にはこの種の質問をいただいていないのかしら」 --おそらく。記憶が確かなら… 「はい。昨年の10月にも納めさせていただいたと記憶しますぞ。僕は基本的に、国のために尊い命を投げ出された方々に対して、われわれとして、国民として、感謝、敬意というものを表するものだと思ってますけど」 --今年、靖国神社に参拝する考えはあるか 「適切に判断させていただきますと。その質問も、毎回、同じことをお答えさせていただいていると思いますが」 --過去には何度も参拝されているが、今回、例大祭に参拝、参列ではなくて… (秘書官)「名前、名前(を言ってから質問して)」 「まず、自分の名前を言ってから、質問をやってよ」 --朝日新聞です。 「朝日新聞? あぁ、見ない顔ですね。初めて見る?」 --いえ、何度も質問している 「あっ、そう」 --過去には何度も参拝していると思うが、今回、真榊奉納という形にした理由を改めて聞きたい 「あの、真榊料を納めるか、そのとき、自分で行くか、理由を朝日新聞に説明する必要は感じませんので、お答えは致しかねます」 --靖国神社をめぐっては、参拝を首相に望む方、反対される方もいろいろいるが、そういう状況を勘案した上での判断か 「いろんな状況を勘案して判断する。当然のことだと思いますが」 --関連の質問になるが、今回、真榊を奉納したことに関連して… 「今回と言われないでね。前回もですから」 --あのー… 「昨年の10月も、そうでしたから。今回はと言われると、ちょっとお答えの仕方も変わりますね。今回だけしたように言われると違いますよ。昨年10月に引き続いて今回もと言われていただくとお答えのしようがありますが」 --昨年に引き続いて今回も奉納したことについて、日中首脳会談も控えているが、日中関係に悪影響を及ぼす懸念は 「中国に関して、中国とはこれまでも、何回となく、未来志向ということを考えてやっていくということを申し上げてきましたし、歴史を直視して、とも申し上げてきたところで、今まで通りです」 どう見ても、朝日新聞が麻生に手玉に取られてる様にしか見えないが、朝日新聞にとっては違うらしく、23日付けの社説でこう書いています。 首相の供え物―持論と矛盾しませんか(朝日新聞) たかが供え物、されど、である。 靖国神社の春季例大祭に、麻生首相が真榊(まさかき)を奉納した。「内閣総理大臣 麻生太郎」という札がついたサカキの鉢植えで、代金は私費で5万円を支払ったという。 首相は昨年10月の秋季例大祭にも真榊を奉納していた。現職の首相が真榊を奉納するのは、2年前の安倍元首相以来のこと。それ以前は20年以上前の中曽根元首相までさかのぼる。 麻生首相は「国のために尊い命を投げ出された方々に対して、国民として感謝、敬意を表するものだ」と、事実を認めた。「供え物を出した、出さないは言わない」と明言を避けた安倍元首相に比べれば率直ではある。 一方で、なぜ参拝ではなく供え物にしたのかを問われると「説明する必要を感じない」「いろんな状況を勘案して」などと口を濁した。今後参拝するかどうかについては「適切に判断する」と、安倍氏同様のあいまいさだ。 遺族や国民が戦没者を悼み、感謝をささげたいと思うのは、ごく自然なことである。春秋の例大祭や終戦記念日などに靖国神社に参ったり、供え物を納めたりするのも、その気持ちの素朴な表れだろう。 だが、内閣と政府を代表し、外交に責任をもつ首相がそうした行動をとるとなると、問題は別である。 戦前、陸海軍が所管した靖国神社は、軍国主義の象徴的な存在であり、日本の大陸侵略や植民地支配の歴史と密接に重なる。神社内にある戦争博物館「遊就館」は、そうした過去を正当化する歴史観をいまも伝えている。 先の大戦の責任を負うべきA級戦犯を合祀(ごうし)したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まった。01年から6年続いた当時の小泉首相の参拝をめぐって国論が二分され、隣国との関係が激しくきしんだことも記憶に生々しい。 いくら私費でも、首相の肩書での真榊奉納が政治色を帯びるのは避けられない。憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない。 小泉氏が火をつけた靖国論争は、こうした靖国神社の性格や歴史を改めて浮かび上がらせた。 首相自身も外相当時の3年前、靖国神社が宗教法人である限り、政教分離原則から首相や天皇の参拝は難しい、宗教色を除いた特殊法人にすべきだ、という論文を発表したことがある。 参拝でないとはいえ、いまも宗教法人である靖国神社に真榊を奉納することは、論文の趣旨と矛盾するのは明らかだ。 近づく総選挙を意識してのことなのだろうか。自ら参拝するつもりはないけれど、参拝推進派の有権者にそっぽを向かれるのは困る。せめて供え物でメッセージを送れないか。そんなご都合主義のようにも見えるのだが。 自分たちがひたすらマッチポンプして国論を二分したくせに、なんて言い草だ。天皇家がいけなくなったのは、別に政教分離の問題では無いでしょう。そんな事を言い出せば天皇家自体が宗教的な側面を持っている事を、どう説明してくれるんでしょう。 あと、麻生首相の宗教色を除いた特殊法人と言う案については、前に日記で書いた通り反対です。と言いますか、意味が解らないのです。<宗教色を除くって、じゃぁどうやって拝めば良いの?/b>その人たちが信奉する宗教のやり方でやるの?それこそ、更に混乱すると思いますが・・・ まぁ、なんにせよ、国家のトップが国家の為に殉じた者たちに哀悼の念を捧げる。それ自体はなんら間違っていない。朝日新聞がゴタゴタ言うべき問題では無い筈です。それこそ、身の程を知れ!と言いたい。 朝日に対極的な新聞として産経の社説を紹介しておきます。 【主張】首相と靖国 堂々と参拝をしてほしい(産経新聞) 麻生太郎首相が靖国神社の春季例大祭に真榊(まさかき)を供物として奉納した。「内閣総理大臣 麻生太郎」名で奉納され、供物料5万円は私費から支出されたという。 麻生首相は「国のために尊い命を投げ出された方々に感謝と敬意を表するものだと思っている」と説明している。できれば靖国神社に参拝してほしかったが、真榊奉納も、国民を代表して戦没者らに哀悼の意をささげた行為として相応の評価をしたい。 今回、中国外務省は「靖国神社は中日関係の中で重大かつ政治的に微妙な問題だ」としながら、直接的な批判を避け、「問題を適切に処理してほしい」と述べるにとどまった。韓国も「正しい歴史認識という側面から、非常に遺憾だ」(外交通商省)とする論評を発表したが、批判のトーンは盧武鉉前政権のときのように強いものではなかった。 今月上旬、北朝鮮がミサイルを発射し、日本と中国、韓国は協力して北の核・ミサイル開発を封じ込めなければならない時期だ。今月末には、日中首脳会談も予定されている。 そうした近隣外交への配慮もあり、麻生首相は参拝でなく、真榊奉納という形を選択したと思われる。中韓の抑制的な反応を見る限り、外交的にはやむを得ない判断だったように見える。だが、遺族や国民の立場に立てば、小泉純一郎元首相が行ったように、直接、靖国神社を訪れ、参拝するのが本来のありようである。 麻生首相は今後の靖国参拝について「適切に判断する」と明言を避けた。機会がめぐってくれば、8月15日の終戦記念日などに堂々と靖国に参拝してほしい。 今年1月の米大統領就任式で、オバマ大統領はリンカーン元大統領が用いた聖書に手を置いて宣誓を行った。就任2日目には、ワシントン大聖堂で行われた礼拝にクリントン元大統領夫妻らとともに参加した。 多くの国々では、政治は伝統的な宗教と密接に結びついている。それを国民に押しつけない限り、「政教分離違反だ」などと問題視されるようなことはない。 戦没者の霊が靖国神社にまつられ、その霊に国民が祈りをささげるのは日本の文化である。中国や韓国などが互いの文化の違いを認めつつ、北の核や拉致問題解決など共通の目標に向かって力を合わせるような関係を築きたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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