カテゴリ:歴史ウォーキング奈良
世界遺産法隆寺の魅力
ここまで来られる方は少なく、法隆寺では珍しく静かな場所です。五重塔、金堂の眺めも申し分なしです。 ここは法隆寺の穴場ですね。
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この辺りは法隆寺では一番の高台にあり、眼下に広がる大和盆地が遠望できる唯一の場所といえます。
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この坂を下ると、右手には“西大門”があります。
【西大門】(にしおおもん・にしだいもん) 門外には西里が広がります。
西里側からの西大門、一番奥に東大門が見える。
法隆寺の西大門は、1035年に造立されこの頃にほぼ現在の寺域が定まったと言われています。西大門が重要文化財にもなっていないのは、1684年に消失し1697年造立したからです。 江戸時代の消失については、1614年大阪冬の陣の前に徳川家康が法隆寺阿弥陀院に止宿して大工棟梁の中井大和守正清と面談、正清を味方につけて大阪城を攻めた事で、徳川家康が大阪を離れてすぐ(1615年)正清など宮大工たちが住む集落西里(西大門のすぐ西に古い町並みが残る)を大阪方が焼き討ち、そのとばっちりで西大門も焼けたといわれています。 西大門から東の向かって立つと、下の写真のように太古に戻ったような景色が広がります。
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正面に見えるのが“東大門”です。 ここから、中門の前を通り鏡池まで、石畳を歩いて戻ります。
鏡池の南側から撮った西院伽藍の風景
鏡池の西、子規の句碑の南側に、一瞬立ち止まってしまうほどインパクトのある古木と出会いました。
【楠の古木】
樹齢はどのぐらいになるのかわかりませんが、少なくとも、1000年以上はこの地に立っているのでしょう。 石積を巻き込み、ねじれたような主幹に圧倒されます。樹皮には穴があき、向こう側が見えてましたが、葉の繁り具合を見ればまだまだ生命力に溢れているように見えます。
次は、百済観音堂がある大宝蔵院に進みます。
《続く》
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