喜怒哀楽のフードコート
初めて自分の作った料理をお客さんに出してからもう20年になるここまでこの世界にいる事になるとは思いもしなかったが小学校の卒業文集に将来の夢として世界各国の料理店チェーンのオーナーになると書いていたのだからその素養はあったのかもしれない初めては高校生の頃冬休みと寒中休業(今はどうか分らないが当時長野は1月の終わりから2月の始めに 1~2週間ほど学校が休みになるその代わり夏休みが短いのだけど・・・)になると泊り込みで白馬や志賀高原のペンションへアルバイトに行くそこでの朝食の手伝いが初めての調理経験だとは言ってもトーストやサラダの盛り付け位だったと思うがいつもは煮物や漬物を食べている田舎者にとって西洋の香りする厨房はとても新鮮だった特に生卵をそのまま油で揚げるフライドエッグはちょっとしたカルチャーショックだった事を覚えているそして自分の手の加わった物がお客さんの前に並んでいる不可思議な光景朝食が終わるとお客さんはスキー場へそこから僕らは掃除をしベットメイクをしレンタルスキーの用意等雑用をこなす・・・ペンションの仕事は多岐にわたり膨大だそれでも何とか時間の隙間を見つける当時のリフト券には一日券以外に回数券があったため食堂の隅にお客さんが余ったら入れてもらうポストを設置しておき強引に作った夕食準備までの空き時間にゲレンデに繰り出す訳だ夕食の片づけが終わると僕らの仕事もひと段落若さは偉大だそれからまたナイタースキーに出かける事もあれば厨房から料理用のワインをこっそり持ち出し屋根裏のバイト部屋で夜通しなんて事もあった途方もなく安い給料もハードワークもそんな青春のひとコマも山小屋の湿気た布団の重さと灯油の焼けるにおいに閉じ込められているそしてもうそろそろあの頃と同じ季節がまたやってくるはずだ。