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カテゴリ:人として
人の一生は、尊いものだと思う。
昨年の12月24日、家内の祖父が他界した。 93歳だった。 そして、今月の21日。 今度は、祖母が祖父の後を追うように、89年の人生の幕を閉じた。 素晴らしい「生き様」だったと思う。 優しく思いやりがあり、面倒見が良く気前が良い。 祖母はそんな人だった。 幼い頃からお嬢様で育った祖母は、祖父のところへ嫁ぎ、苦労をする。 しかし、持ち前の明るさ、努力家の祖母は、そんな中で1男3女を育てていく。 7人の孫に恵まれ、9人の曾孫が生まれた。 21日、2~3日はもつのではないかと思われていた祖母の容態は急変する。 ホームセンターで買い物をしていた私の携帯が、ことの緊急さを告げた。 急ぎ病院へと向かう・・・・・。 間に合うのか・・・・・。 私が祖母の病室に着いたのは、午後6時前だった。 間に合った・・・・良かった・・・と思った。 それからおよそ4時間の間、祖母の容態は一進一退しながら、 次第に数値が落ちていった・・・・。脈拍・血圧・血中酸素量・・・・。 上がり下がりする度に、焦りと悲しみが入り混じったような不思議な気持ちになった。 祖母は、偉かった。 伯母たちが間に合うまで、待っていてくれた。 そして、静岡県内の最後の孫が到着するまで、苦しい中を待っていてくれた。 悲しむ母、伯母、叔父、叔母。 母親を失う気持ちを味わったことは無い。 最後が近くなった・・・・。 母たちは繰り返し、「おばあちゃん、ありがとう。おばあちゃんのお陰だよ。」 「ありがとう・・・・ありがとう。 もう、いいから。 もう・・・いいよ。 おばあちゃん、がんばったね~。 ほんとうに、がんばったね~。 みんな本当におばあちゃんに感謝してるよ。」 脇から皆が声をかけている。 「ありがとう、いいお母さんだったよ。感謝してるから・・・・。 あなたの娘で幸せでした・・・・。ありがとう、ありがとう。」 「待っててね・・・・」 「もう・・・・楽になっていいよ・・・あり・・がと・・う・・・。」 みんな声にならない声で、祖母に別れを告げている。 その時、祖母がうなづいているような仕草をした。 「おばあちゃん、わかってるの?・・・・聞こえてるの?」 「おばあちゃん、ありがとう!」「ありがとう!」 「おば・・・ぁ・・ちゃん・・・・。」 おばあちゃんは、薄っすら涙を流すと、みんなに何かを告げようとした。 声にはならなかったが、確かに何かを話そうとした。 そして、満面の笑顔を見せると、静かに静かに天国への階段を登っていった・・・。 脈拍は次第に下がり、血圧も下がっていく・・・・もう時間は残されていなかった。 「おばちゃん笑ったね。 笑ってたよね・・・・いい笑顔だったよね・・・・。」 言いながら、みんなむせび泣いていた。 皆が言葉を失い、泣き声だけが病室に響いていた・・・・・。 呼び出された当直の医師が、死亡時刻を告げた。 「午後9時41分・・・・・。」 その後の言葉は聞き取れなかった。 聞きたくなかったのかもしれない。 祖母は、惜しまれて、惜しまれて、感謝されてこの世を去った。 人のために尽くし、真心を尽くした人の一生が、どういうものであるか、 どう生きればよいのか。 私たち残されたものの為に、最後の教えを残して。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
おばあ様のご逝去ご愁傷様でした。それにしても親族の皆様に最後まで感謝され、幸せな一生でしたね。姿はなくなっても強く皆の心に生きていらっしゃることでしょう。
(2008.07.27 21:51:52)
アミティ039さん
>おばあ様のご逝去ご愁傷様でした。それにしても親族の皆様に最後まで感謝され、幸せな一生でしたね。姿はなくなっても強く皆の心に生きていらっしゃることでしょう。 ----- そうですね。 皆に感謝されて旅立った祖母は幸せな最後を迎えたと思います。 祖父の最後には立ち会えませんでした。 臨終の時に立ち会えたのは、義父の時以来です。 人の一生は荘厳なものです。 その命を奪う人もいます。 いかなる理由を持ってしても、 決して許せるものでは、ありません。 (2008.07.28 01:00:24) |