2010/02/08(月)13:54
上手なひと。
レンタルDVDを借りて、「めがね」って映画を観たんです。
いつかの日記にも書いた「プール」とか、「カモメ食堂」とかを作った人たちの映画です。
僕は、この人たちの作る映画がとても好きで。
“stillness”とか“静止感”とかって僕が名づけてる空気が、あふれてる。
その「めがね」のなかにこんな感じのせりふがあるんです。
「この島には、たそがれるのが上手なひとが集まってるんです」
「たそがれるのが上手」って、そんなことば、生まれて初めて聞いたぞ。
「たそがれる」も「上手」もたくさん聞いたけど、このことばは初めて。
なんか、すごくないですか。
23歳の社会人が「生まれて初めてのことば」に出会ったのであります。
新しいことばが入ってきて、新しい着想が生まれて。
それは、すごくミニマムな意味での、生まれかわりなんだと思うのであります。
この生まれかわりがあって、今僕が思っているのが、「困るのが上手なひと」になろうってことで。
というのもですね、僕が一緒に働いている人たちは、みんなすごい人たちですよ。
すごく優秀で、頭がよくて、賢くて。
僕が困ってることなんて、「ふふ~ん」って感じでやっつけちゃう。
そのたびに僕は、「うわ~、かなわないや」って思ってしゅんとします。
でもね、僕もこの春で社会人2年生になるんです。
2年生がいるってことは1年生もいます。
1年生がみんな最初からすごかったら、かわいくないです。
僕が困ったこと、同じことで困るひとが、きっといるんじゃないかな。
そういうひとに手を差し伸べることは、もしかしたら僕が上手にできるかもしれない。
困ったことがあるひとじゃないと分からないこと、きっとあると思うんです。
それならば、僕は困ったときにちゃんと困るっていうか。
安易な横道に逃げないで、真正面から困るっていうか。
そんな風に、「困るのが上手なひと」になろうかと思ったのです。
それって、ちょっとオリジナルでおもしろいかもしれないって、ね。
僕ん家のオーディオは安物で音質がぜんぜん良くないのですが、
ビートルズとかクイーンとかエアロスミスなんかは、こっちの方が味が出て好きです。
優秀であることがすべてじゃないぞ。
自己肯定の、理論です。