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助任川にはカモメが舞い、川辺には蜂須賀桜が咲いていた。 花の見ごろは過ぎ、新芽が顔を出している。 花枝に野鳥が泊まり、花の蜜を吸っているのだろうか? 城山北側には奥行き5メートル程の貝塚がある。 小学生の頃、秘密基地として同級生とよく遊んだものだ。 今は柵が作られ立ち入り禁止になっていた。 東側庭園には木蓮の花が咲き誇っている。 池には二羽の鴨がのんびりと浮かんでいた。 公園をぬけ、数寄屋橋を渡るとバスが待っていた。 今日は徳島城博物館が主催する「文学と歴史セミナー」が終わり、 「昔阿波物語の故地を訪ねる」バスツアーに参加した。 歴文同期生と共に現地研修、最初に尋ねたのは一宮城址跡・・・ 一の宮城址の登り口には一の宮神社がある。 一の宮神社とは、阿波の国一番の神社と言う意味です。 登山口には発掘を担当している学芸員が待っていた。 詳しく解りやすく一の宮城址の成り立ちを解説してくれた。 1338年に小笠原長宗が築城して蜂須賀正勝が入場するまで 300年間、阿波の国一番の山城として君臨した。 急な石段を登り、才蔵丸に着く頃には額に汗が滲んでいた。 険しい山道を曲がり、目の前が明るくなると本丸が姿を現わした。 巨大な石垣に参加者は驚嘆の声を上げていた。 この時代の物としては珍しく、全国から歴史マニアが来場している。 早く発掘が終わり、整備され観光地になると良いね。 本丸からは素晴らしい風景が広がっていた。 眼下には清流鮎喰川が流れ、徳島平野が広がり阿讃山脈や 遠くに淡路島まで見える絶好の軍事拠点だ。 帰り道は陰滝に至る整備されていない山道を下る。 参加者は意外にも喜んでいたよ。 一の宮城に別れを告げ、脇町へ・・・ 昼食は「四季料理 森友」で賑やかに済ませて岩倉城、 脇城周辺を散策した。 三好家の興亡を賭けた中富川の戦いの跡を見学し、 勝瑞城館跡に着く頃、雲行きが怪しくなった。 北西の風が激しく吹き、急に気温が低くなったように思える。 広い勝瑞館跡は発掘の最中で復元までには数年かかるそうだ。 三好家ゆかりの光勝院を訪ね、本日の歴史散歩は終わった。 三好家の興亡を描いた「昔阿波物語」の現地研修は終わり、 徳島城数寄屋橋に着く頃には夕闇に包まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.03.20 10:00:13
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