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カテゴリ:つれづれ 2010
<能>
能は、継承されている演劇としては「世界最古」といわれる日本独自の舞台芸術で、世界無形遺産に指定されています。 その昔、奈良、平安時代から庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲や、神への奉納の舞が集大成され、能となったのは、鎌倉時代後期から室町時代前期と言われます。民衆の芸能が、室町時代に盛んになった禅宗や水墨画などの影響を受け、また、幕府や貴族階級に保護されて、洗練されていきました。 能の大成者、世阿弥(ぜあみ)は、日本の演劇史上、最も重要な人物のひとりです。世阿弥が、独自の芸術論である『風姿花伝』を著したのは、シェークスピアが登場する200年近くも前のこと。その芸術論は、現在でも、思わぬところで私たちの生活に影響を及ぼしています。 能の演目の多くは、平家物語や今昔物語など、室町時代に庶民の間で人気があった古典を題材としています。そして曲の進行と構成の違いから、「現在能」と「夢幻能」に分けることができます。「現在能」では、現在進行形で話が進んでいきます。「夢幻能」は、演目の中で現実と夢が交差して話が進行するので、物語を追いかけるのはちょっと大変ですが、どの曲も構成が似ているので、パターンとして捉えることができます。 能では、主人公を「シテ」と呼びます。 シテの相手役を「ワキ」といいます。 また、シテの連れを「ツレ」、相手役であるワキの連れのような役を「ワキツレ」、シテのお供のような役は「トモ」といいます。また、子どもが扮する役を「子方(こかた)」といい、 子役だけではなく、青年の役も、「子方」として子どもが務める場合があります。 夢幻能で、前場と後場をつなぎ、経過した内容を説明したり、ワキへアドバイスしたりするために、狂言師が登場する場合がありますが、これを「間狂言(あいきょうげん)」、また「アイ」ともいいます。 <舞囃子> 能の音楽は、謡(うたい)と囃子(はやし)で成り立っています。謡は、シテ方が務め、囃子は囃子方により演奏されます。謡とは能の舞いに添えられる歌謡です。 舞は、謡や囃子といった音楽的要素とともに、総合的な楽劇である能の、大本になるものです。 <狂言> 狂言は能と同じく、散楽を源流とする芸能で、古くから能と深く関わってきました。能と大きく違うのは、能でほとんど表現されない「笑い」に結びつく芸能だというところです。散楽はこっけいさが特徴でしたから、狂言は元の姿を受け継いだといえるでしょう。 主に能と能の間に、ひとつの劇として演じられる「本狂言」、能一曲のなかで演じられる「間狂言(あいきょうげん)」〔シンプルに「間(あい)」「アイ」とも〕というふたつがあります。単に「狂言」と呼ぶときには、本狂言を指しています。本狂言は、大体2、3人の演者が、口語的なせりふの掛け合いと、細かく練られたしぐさとで観客の笑いを呼び、和みをいざなう喜劇です。また間狂言は、ひとりで出る場合が多く、能一曲のなかで、物語の進行を円滑に促し、観客の理解を助ける重要な役割を果たします。 狂言は、室町時代の口語をベースにした、おおらかな対話の語りと、時に写実的で時におおげさで類型化したきめ細かいしぐさとで、主に「笑い」を引き出します。 ◎ the能.com <<- 参考にさせて頂きました。 <青木一郎 能の会 演目> ・能「高砂」 あらすじ1、2 ・舞囃子「松風」 あらすじ1、2、3 ・狂言「栗焼」 あらすじ ・能「花筐」 あらすじ1、2 ◎ 青樹会 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.10.06 07:33:08
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