カテゴリ:日常
年末年始休暇に入り、文具店に出ています。
師走特有の、筆ペンや、印刷してある年賀はがき、年賀ポスター(お店の入口に貼ります) 期が変わるため、大判のグラフ用紙や手帳、いろいろな紙類や筆記具がよく出ます。 お年寄りのお客様も多く、店の入口ドアが硬いのが気の毒 一週間前に中太マジック9本の注文があり、電話しても来店されないのがありました。 昨日電話があり、今日取りに来られる予定でしたが、夕方また電話で「今から行きますから」 すぐ近くから十分くらいで来る、と言われるのです 「お届けに参ります」 店を閉めてから自転車で家の前に立つと、玄関は門の5メートル奥にあり、インターホンで話してから2分待つと、やっと玄関が開きました。 手袋を外して待っていたら冷えてきます。 玄関の中が自転車で廻れるくらいあり、また上がりかまちが広く、その後ろの廊下の向こうに部屋があります 足が悪くて、歩くのが辛くて 最近空き巣に入られて、鍵が一度無くなり、またいつか元の場所に戻っていた 衣類を盗まれたりした 警備会社と契約した などなと…… おばさまは一人暮らしなのか、応接に通されて話をする間も、他に何の物音もしません。 1,100円くらいのお買い物でしたが、20分くらいそこでお話をしてから 「外出が難しい時にはお届けしますから、おっしゃって下さい」 「これを持って帰って」 兵庫の美味しいおかきを沢山いただいてしまいました 「良いお年を」 ☆☆☆ 帰る途中の酒屋さんで、正月用の清酒を買いました。 原爆の日に、爆心地の様子を語る証人としてテレビに毎年出ていた田中さん。 全国放送だから、あの丸顔の田中さんを見た方も多いでしょうか NHKのプロデューサーが転勤されたので、ここ2年テレビに出ていないとか。 お話好きなので、お酒を買ってからがいつも長いのです。 米記者と話す番組があった時 「トルーマンは軍と軍の戦いではなく、日本の一般人をモルモットに使った、一週間前に出来上がった原爆を小倉、広島、新潟、と実験地を考えていた」と言うと 米人記者は「トルーマン自身ではなく、その下の者が指示した」と答えた これを言う時、いつも笑顔のおじさんの眼は小さく丸くなって、少し怒りが現れていました… 他にも、耳が遠くなって、と殆ど一方的に話されたのは 爆心地の島病院の傍に家があり、家族4人全滅、自分は特攻で鹿児島にいたので生き残った。 島病院には病院で使う氷を納めていた 創業102年。100年で表彰してもらった 広島そごうが紙屋町に進出する時、街の中心がこちらに移ることになるから、無闇に反対しない方が良い、と広島商業の二年先輩の○○さんから言われ、広島本通り商店会をまとめた。 賀茂泉酒造は同級生、(私の好きな賀茂泉です) もっといろいろ聞いたのですが、どうやってこの長話を円満に切上げようか、と思いつつ聞いていたせいか、思い出せません 賀茂泉と荷物を両手に、20分間相槌をうちながら聞いていたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/12/30 11:27:59 PM
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