北斎通りより
葛飾北斎の生誕の地と考えられている南割下水、いまの北斎通りだ。江戸はかつては水運都市だったといわれている。たくさんの物資を運ぶための運河があちこちにあった。江戸東京博物館は江戸時代には御竹蔵と呼ばれる倉庫街だった。水路が走っていた。その御竹蔵(現在の江戸東京博物館)からまっすぐ東に延びているのが南割下水(現在の北斎通り)だ。葛飾北斎はこの南割下水の周辺のどこかで生まれたといわれている。そんな経緯から通りには「北斎」の名前が付けられた。そして、その沿道にあったのが葛飾北斎生誕の地の碑であった。(2005年10月撮影)およそ2年前にこの碑は撤去されしばらく跡形も残っていない状態だったが最近になってもともとの碑が立っていた場所に告知看板が立った。(2011年1月撮影)実は1年ほど前に北斎通り沿いにある東あられさんの前に51番目の高札として「葛飾北斎生誕地」が掲げられるようになりました。この高札のすぐ向かい側には江戸時代の津軽屋敷跡があり、現在は緑町公園となっている。浮世絵師北斎は津軽屋敷にも出入りしていたという縁から、緑町公園の裏手にあったテニスコート跡地に2012年の完成を目指して「北斎美術館」の建築が計画進行中である。この地から北北東にはスカイツリーがそびえ立っている。もし北斎がスカイツリーを観たらどのような浮世絵に料理してくれるのだろうか?そんなことに思いを馳せてみたらちょっと楽しくなった!