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nomination1103

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2006年05月06日
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青山はキラー通り沿いにあるワタリウム美術館は、青山散策の折、ちょっと時間がある時にフラリと立ち寄るには丁度良いこじんまりとしたお洒落な美術館だ。しかも、市民向けのちょっとしたミニ講座なんかも充実している。

今日はホントは、イケアに行こうかな、と思ったりしていたのだが、デザビレの鈴木村長のブログで、「1時間半待ち」の文字を見ておじけづいてしまい、近いところでノンビリすることに変更。

今、ワタリウム美術館でやっている「夢の中から見つけた街」は1920年代のシュールレアリズムの時代から80年代末のストリートペインティングの時代に至るまでの、著名な海外のアーティストに、同美術館とゆかりの深い現代の日本人アーティストを若干名加えて、写真を中心に一部映像作品を集めた内容になっている。

マン・レイ、ロバート・メイプルソープ、アンディ・ウォーホール、キース・ヘリングなど、このブログでもファッションとのからみで何度かご紹介したことのある、非常に知名度の高いアーティストがズラリと勢ぞろいしている。マン・レイの写真を実際にご覧になられたことがまだない若い方には、この機会に是非現物をご覧になられることをお勧めします。今見ても、非常に斬新で実験的な撮影手法である。

それから、昨年大掛かりな展示会が開催されて日本国内での再評価が高まったアウグスト・ザンダーとか。

ちなみに、今回の展示の面白いところは、「写真家の写した写真」と、「写真家ではないが、ビジュアル表現のプロが写した写真」と「アーティストを他者が写した写真」が入り混じっているとことにある。

先程列挙したアーティストのうち、マン・レイ、ロバート・メイプルソープ、アウグスト・ザンダーは「写真家」なので、その写真そのものがプロらしいレベルの仕上がりになっているし、アンディ・ウォーホールの場合は、彼の友人知人である、いわゆる今で言う所のセレブの皆さん達を彼が写したものが中心だが、幅広い交友関係があり、友人だから心を許す、ということがなければこんな生き生きとした表情はとらえられなかっただろう、という躍動感溢れる写真が揃っていた。

キース・ヘリングは、日本に来日したときのパフォーマンスを写したもので、ビデオも放映されていたが、これまた、非常にライブ感がある。描くスピードの速さに、天才を感じますね。

それから、寺山修司と、アレン・ギンズバーグ(例によって松岡正剛氏の「千夜千冊」の書評が鋭くギンズバーグの本質を捉えていると思うので、英語が苦手な方はコチラをどうぞ)の写真もインパクトが強かった。

2人共、全ての写真にテキストが書き加えられている。

寺山修司の場合は、サド・マゾ、エロ・グロ的な写真の上、人物が写っていない余白の部分に、詩や短歌、今でいうところのキャッチ・コピーのようなものが、歯切れの良い文体で書き加えられている。

そう、これはまるで、演劇か映像。彼の表現は、ビジュアルと言葉、場合によっては音楽も一体となって初めて完成するものなのだ。この写真は、時間的にも本来は前後に前のシーン、次のシーンが連続している空間芸術の一部を切り取ったもののように見えてくる。

ギンズバーグの写真は、今回の展示物の中では異彩を放っていた。詩人である本人自身が写している自身や友人達を含めたポートレイトと、他者がギンズバーグ氏を写した写真が一緒になっておかれている。

それらの写真の下部に、全て、本人直筆の状況説明だったり、詩らしきものが細かく書きこまれている。いかにも、「どうしても言わずに(書かずに)おられないのだ」といった風に。

さっき、アメリカのホームページをいろいろ検索してみると、やはり彼の写した写真や写っている写真も、広く公開されているようであるが、詩人である本人は、最初から自分が死んだ後こうやって写真が公開されることを望んでいたのかなぁ、という疑問を、ちょっと感じましたね。プロの写真と並べられると、やはり写真のシロウトであることが歴然としてしまう。

ギンズバーグの写真が価値があるのは、「他分野の芸術家のバイオグラフィー」だからであって、その写真そのものに芸術的な価値がある訳ではないように私は思ってしまったのだが。59歳のギンズバーグが自ら写したポートレイトの、大きく前にせり出したお腹が、妙に悲しかった。

寺山修司とアレン・ギンズバーグは、言葉によるメッセージなくして自らの表現を完成しえないタイプの芸術家なのだ。

某○日新聞の広告ではないが、言葉のチカラは、強い。詩や短歌はもちろん、「思い」の表象であって読む人に解釈の余地を与える芸術としての懐の深さ、あいまいさを持つ表現方法であるが、それでも、言葉には、多くの人に共通の「意味」を感じさせる、方向付けを行う強さが秘められている。

昨日水戸芸術館で見た「人間の未来へ|ダークサイドからの逃走」も、期せずしてテキスト(言葉)と報道写真とアートの手法としての相違を浮き彫りにしていたが、言葉を表現手段として選択するということには、そのチカラが強い分、難しさがつきまとうように思う。

詩の良さは、評論や小説なんかと違って、それでもまだ、あいまいさ、余韻がある、読み手の想像力にゆだねる余地が多いところにあると私は思うのだが。

両義性、あいまいさを残そうと労をつくせば、それが単なる言葉遊びになってしまう場合もあろう。ピュアな心を持った子供が口語体で綴った詩の方が、大人の虚飾に満ちた言葉よりもはるかに心をうつ場合も多いのだ。詩人とは、何か?

今日、この展示会で、映画監督の大木裕之氏のお名前と作品を拝見できたことも非常に有意義だった。長いこと大木氏のことを忘れてしまっていたが、急に記憶が蘇ってきた。

最近こういう、「思い出す」というパターンが多いんだよね。昔知ってたり、関心があったけど、長いこと忘れていたようなことが、何かの拍子にウワーっと湧き出てくるのだ。「昔」がそれだけ自分の中で長い時間になってきた、つまり、自分が相当に年をとった、ということなんだけど(笑)。

昔、岡山に居た頃(90年代の後半頃)、ローカルTVのCMで高知県のインターナカツさんという会社の「ジーンズファクトリー」というジーンズ専門店のCMを彼が撮影したということで、中四国のアートシーンではちょっとした話題になっていた。

ちょうど上京する直前の岡山映画祭で、大木氏ご本人のお姿を拝見した記憶がある。「HEAVEN-6-BOX」という映画も見たのだが、イメージの断片をつなげたような映画で雰囲気はいいがそれこそ主題がどこにあるのか漠としてつかめない所在無さを強く感じたように憶えている。

今、いろいろなサイトに出ておられる大木氏の風貌は、何だかその頃とかなり変わっておられるように見える。さくらとちょうど同い年で、中年になられた、ということなのか。昔よりかなり精悍な雰囲気になられたようだ。

日本のゲイカルチャーシーンをリードするクリエーターの1人として、有名になっておられるようですね。全然知らなかった。あちこちの映画祭で作品が上映されているようだし、映画以外にもドローイングなど多様なジャンルでご活躍なさっておられるようだ。

高知を拠点に、ご自身のペースで進んでおられるんですね。何か、嬉しかったです。

昨年は谷中のSCAI THE BATHHOUSEで個展も開催されたということだが、実は昨日、水戸への行き帰り、「次はSCAI THE BATHHOUSEに行って見たいなぁ」と思っていたところだったんですよ。この間から読んでいた、秋本治著『両さんと歩く下町』に、SCAI THE BATHHOUSEの話が出てきて、ピンときていたところだったので。

不思議だなぁ、自分の中で、シンクロしているなぁ、と一人喜んでおります。アートは私の本業ではない、趣味の領域では、RSSリーダーなんかで徹底して調べる、なんてことはしない主義で、風任せ、気分の赴くままにで適当に見たり読んだりしているんですが、その方がじんわりと自分の中に入ってきて深く感じられる、ということもある。

以前メーリング・リストで、同所が日曜日はお休みだということを読んで記憶しておりますので、土曜日ヨガが終わった後にでも行ってみようかな。

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最終更新日  2006年05月06日 21時42分27秒
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