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東北へ行ってまいりました。3/17に早朝5時に出発。まだ薄暗い中、常磐道~磐越道~東北道と北上350キロ。SAごとに交代しながら東松島についたのは丁度お昼時。仙台で渋滞に遭ってしまいました。東松島のカキ小屋へ行くと、もう終わりとのこと。紹介された直売所で殻つき焼きガキ3個500円を堪能。広島産ではと見間違えるほどの大きさ。でも、息子は磯の香りが嫌だと贅沢を言い、私が彼の分までいただくことに。それだけでお腹いっぱいだよ~!
そして、多少の腹ごしらえをした後、南三陸町へ。 南三陸町はあの防災庁舎がぽつんと立っていました。 防災庁舎の前にはたくさんの花や飲み物、お菓子、千羽鶴が手向けられていました。周りはもうすでに何もなく、多少残った建物の残骸。ここにどのくらいの人がつい1年余り前まで普通に生活をしていたのだろう、と思うと津波の恐ろしさよりも、人間の無力さ、悲しさを強く感じてしまいました。私たち家族は涙をこらえて手を合わせるしかありませんでした。橋の欄干はぐにゃぐにゃに折れ曲がり、ビルの屋上にはまだ車が乗ったままでした。冷たい雨がただ何もなすすべもない私たちの上に降るばかりでした。 悲しい雨でした。 その後、石巻へ。石巻は大通りの商店街からはとてもテレビで映し出されたような状況がなく、沢山の車、建物・・・。ところが、海へ向かってほんの少し走るとだんだん状況は一変してきました。ちょっと入ったところなのに、家も、店もすでにないところ、津波の高さなのかもしれません。建物の壁に色の変わった線。。。しかし、高台に上がっていくと人々の暮らしは何か変わることもなく、普通に見えていました。 ところがすぐその高台から下を見下すと、南三陸で観たばかりの風景がここにも…。 そして行く手を遮る瓦礫の山。。。 下の写真は石巻の津波の時に火災に遭った門脇小学校です。幸い津波で避難場所に指定はされていたようですが、あまりの規模に皆門脇小の裏手の高台に逃げて、難を逃れたようですが、そのあと津波の時に油に火が付き、学校は全焼。学校の周りにはたくさんのお墓が・・・。流されたきたのか、それともわざわざそこにみなお墓を持ってきたのかはわかりませんが。 それでも、人は生きていかなければならない。そして生きている人は幸せにならなければならないと思います。私たちはだれもが幸せにならなければいけない。それは贅沢な思い出も、限りない欲望の一つでもなく、あたりまえの望みであり、権利でもあると思います。 私は、ここで子どもたちに何かを感じてもらえたのか、今を生きることの意味を感じてくれたのか私自身問うているところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月19日 18時27分45秒
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