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肉桂、実は去年泣きました。
何故かって、それはきちんと淹れられなかったから。 それから「シナモン」という強いイメージから逃れられなかったから。 去年は焦って結構あちこちから求め、これも駄目、あれも駄目でめげてしまいました。また、おまけでも頂いたりして、かなりの数淹れてみましたが、全然納得出来ないのです。 何故、シナモンの香りのかけらも出てこないのだろう。 その前においしくないのはどうして?? 香りの表現や受け取り方はひとそれぞれなので多少の違いはあるとして、何故おいしくないのだろう。 いろいろな淹れ方を試してみましたが、駄目でした。 こうなったら「今」は肉桂と肌が合わないのだとあきらめ、しばらく忘れている事にしました。 しかし、お茶の籠の中には小梱包づつとは言え、うまくいかない肉桂の茶葉がたくさんうずくまっている訳で、気になります。 ある日、「どうしても駄目なら茶漉しつきマグ」の法則を肉桂に当てはめる決心をしました。 いや、やっぱりこういう峻厳なお茶って、どうしてもマグで淹れるというのは恐れ多い感じがぬぐえないのです。しかし、このまま飲まないというのはもっとお茶に対して申し訳ない! と思い、気合もろともに茶葉をマグカップへ。そして気合もろともに熱湯を! 蒸らしに蓋をかぶせる前に、美味しく淹れられたかはもう分かります。 結局、肉桂はマグカップで淹れるものになってしまいました。 でもこれが一番美味しいと私は思いました。 美味しく淹れられた肉桂は、木の香り。岩茶の御大が書かれた本に「武夷肉桂はシナモン、というのではなく、唐代までは木犀もシナモンも桂と書いた名残から」とありましたが、金木犀の花の香り、というのではなく、木犀の傍らに夏ごろに立った時、香ってくる「木の匂い」に近い感じだと私は思います。焙煎の加減で違いはあるとは思いますが、一般的に「木の匂い」というと白檀かシナモン等が身近だし、確かに奥底の方にシナモンの香りが敷いてある様な感じがして、「シナモン香」と言い表すのかも、と思いますが、「シナモン!」ではない感じがします。 冬は肉桂や白鶏冠、鉄羅漢など強くて重厚なお茶が特に飲みたくなりますが、そんなこんなで肉桂はどこかの木立の中にいて、樹のざわめきを聞いている様な気分になるお茶です。温かい、やさしい感じだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.02.15 10:57:31
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