2008/11/23(日)09:48
「気骨の判決・東条英機と闘った裁判官」清水聡著・新潮選書08年8月刊・2の1
気骨の判決
私:昭和20年8月15日に敗戦となる。
その年の3月1日、当時の大審院第三民事部の裁判長吉田久は、昭和17年4月30日の衆議院選挙で、鹿児島県2区の選挙は無効だとした判決を出す。
大審院の判決は今の最高裁の判決と同じだ。
これにより、19日後の3月20日には選挙をやり直している。A氏:買収問題かなんかあったのかね?私:いや、違う。
政府の介入だね。
昭和16年10月に東条内閣が誕生する。
日本は憲法上、三権分立だが、東条は、国策に沿っておとなしく従う議会を作ることを考える。
当時は、まだ、元気のある議員がいた。
昭和15年2月には、民政党の斉藤隆夫が、有名な「反軍演説」を行っているね。A氏:陸軍は、この演説は聖戦への侮辱だとして攻撃し、記録は削除され、斉藤は議員を除名される。私:削除された内容は「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤ることがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」A氏:今から、みると、まさに国家百年の大計を誤ったね。
アジアの共存共栄の美名のもとにね。私:当時、東条は陸軍大臣だね。
こういう一部議員の存在を苦々しく思っていた。
自分が首相になったとき、議会も思う通りに動かしたい。
昭和17年2月に東条首相は、一部の議員、陸海軍の幹部、財界や大政翼賛会の幹部を官邸に招き、選挙に向けての協力を依頼する。
これにより「翼賛政治体制協議会(翼協)」が作られる。
そして、選挙候補者に対して「翼協」推薦候補を出す。
反政府的な候補者がいる選挙区には「翼協」から対立候補を立てる。
A氏:「刺客」だね。私:推薦を受けなかった政治家には、片山哲、鳩山一郎、芦田均、三木武夫という戦後の総理経験者も含まれていた。
戦後の大臣も務めた安藤正純、河野一郎、一松定吉、西尾末広、犬養健、世耕弘一などがいる。
「憲法の神様」の尾崎行雄も非推薦だね。
「反軍演説」の斉藤隆夫も当然、推薦されない。
そして、これらの非推薦候補に対して、選挙活動で「翼協」や警官などのあからさまな妨害が始まる。A氏:開発途上国の選挙みたいだね。私:昭和17年4月30日の選挙は、投票率83.1パーセント。
「翼協」推薦候補は、381人が当選し、全候補の8割を超える。
東条の試みは一応、成功するね。
しかし、三木、斉藤、尾崎はそれでも当選する。
鳩山一郎は、当時の日記に
「だんだんと乱暴の干渉をきく。
憲法は実質的に破壊される。
選挙にして選挙にあらず」
と書いているという。A氏:しかし、そういう中で、なんで、大審院まで選挙妨害の訴訟が出たんだろうね。私:鹿児島2区で当選した4人は全て「翼協」推薦候補だった。
落選した非推薦候補らは黙っておらず、ひそかに選挙介入の証拠を集め、選挙無効の訴訟を霞ヶ関の大審院に提訴する。
鹿児島県知事まで選挙介入している。
当時は、県知事は内務省からの移動人事だね。 こうして、この本の主人公である大審院判事吉田久氏が登場することになるね。 明日は、その話に移ろう。