知的漫遊紀行

2010/07/27(火)06:30

「日本政治思想史・[十七~十九世紀]」渡部浩著・東京大学出版会10年2月刊・3の2

                     日本政治思想史 私:徳川吉宗のときの儒学者で有名なのは、徳川日本において思想的影響力の大きかったと言われる荻生徂徠だ。   徳川儒学史は彼の出現で様相を一変し、朱子学者でも徂徠学を意識し、国学もそれに触発されていて、その影響は深く大きいという。   荻生徂徠は反朱子学だが、その思想の根幹は、反近代だと言われる。   反進歩、反発展、反市場経済、反自由、被治者は反啓蒙、反民主主義だということで一貫しているという。   徂徠の儒学は政治哲学だから、政治に反映しないと意味が無い。   徂徠は、徳川政権を強化するには、彼の政治哲学による改革が必要で、それをしないと徳川政権は長くないと予見する。   しかし、つながりがあった吉宗の死で、それは望めなくなった。   その結果、徂徠が予見した乱世が来そうにないと、徂徠学への懐疑を生む。A氏:徳川政権の安泰は吉宗の後も長く続くね。私:儒者によっては、それは中国と違い、日本人は人が優れているから「聖人の道」無しに治まるという説が出る。   すなわち、日本特殊論、日本優位論で、これが国学へと展開する。   国学の台頭は、一面では思想体系としての、徂徠学の崩壊の結果だという。A氏:国学では、本居宣長がいるね。私:彼の師の賀茂真淵は、当時、中国が「いやしげな」「えびす」の満州族支配の清となったのをみて、儒学の源の中国は代々ろくに治まっていないという。   その中国に対して、日本は「いやしげなる人」が帝位についたこともなく、「えびす」に征服されたこともない。A氏:万世一系の天皇がいるからね。私:これは日本人が優れているからだとなる。  ところで、朱子学で問題になる天子だが、日本では天皇と徳川将軍のどちらが上かということが当然問題になる。   最初は、天皇がすべてを将軍の統治に委託するという解釈が、次第に、天皇が上という反将軍の論理となってくる。A氏:尊王だね。私:特に、幕末には経済が市場化してきて、下級武士が貧困になると、幕府政権を怨み、下級武士はこの尊王の考えに飛びつくのだね。   長年の下級武士の怨念が明治維新の原動力だという。A氏:明治新政府で官僚には下級武士がなるが、このため、汚職が少ない。   司馬遼太郎は「インダストリィは、汚職する国家では興らない」と言っているね。   これが、日本が他の後進国の近代化にない特色になっているんだね。私:しかし、反朱子学であれ、国学であれ、そのもとには儒学の影響があるね。   賀茂真淵にせよ、本居宣長にせよ、最初、儒学を学んでいる。   その上の反論だね。   そして独自の政治思想を創りだす。  ところで、荻生徂徠は市場経済の否定が世を救うと考えた。   共産主義だね。   これに対して、市場経済の積極的利用の構想も出現した。   これが海保青陵という儒者だ。   俺はこの名前をはじめてこの本で知ったね。   すごい政治発想を持っていたのには驚いた。A氏:俺も初めて聞く名前だね。私:明日は、海保青陵についてふれよう。 

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