知的漫遊紀行

2017/04/06(木)19:25

「ポピュリズムの行方」独歴史家・マグヌス・ブレヒトケン氏へのロングインタビュー・6日朝日新聞・「インタビュー」欄

私:トランプ米大統領を生んだ米国を含め、世界の民主主義はどこに向かおうとしているのか、ナチスが台頭した戦前との違いは何か、ということで、ドイツの歴史家・マグヌス・ブレヒトケン氏にインタビューしているね。   A氏:英国のEU離脱、米大統領選など直接的な投票で、世界が大きく動いているが、ナチスドイツも1930年代、4度の国民投票で台頭した。   私:しかし、ブレヒトケン氏は、30年代の国民投票と現代を比較することは非常に慎重であるべきだという。  ヒトラーが権力を掌握した33年(1月)以降、特に2月の国会議事堂放火事件(共産主義者の犯行と断定して共産党を弾圧)を経て、法の支配は事実上廃止された。  ワイマール憲法の48条が発動され、同憲法が保障していたほぼすべての基本的な権利は完全に廃止された。  48条は「憲法停止の非常大権」を定めた緊急条項で、民主的な憲法だったワイマール憲法の弱点となったね。  現在のドイツ新憲法では、68年に「緊急事態条項」が導入されているが、極めて限定的なもので議会の同意も必要だという。   A氏;ワイマール憲法の「憲法停止の非常大権」をヒトラーが利用し、(憲法という)法的側面だけでなく、政治的、社会的な弾圧も強まった。 突撃隊(ナチスの準軍事組織、SA)を使って社会民主主義者や共産主義者などあらゆる政敵に対する暴力が行使されるようになり、普通の政治状況や自由選挙といった選択肢はもうなくなり、33年3月の総選挙は暴力と脅しが広がるなかで実施されたのだという。   私:その総選挙を経て、議会制民主主義を否定する勢力が議会で多数派を握った。  一方、共産党も議会を否定する勢力だったので、当時は左右合わせて約3分の2の議会勢力が反民主主義的、議会否定派の政党だったという。   A氏:現在、既成勢力への批判は世界的に広がっているが、ドイツでは、中道が議会の7~8割を占め、安定化できるという。 この点が20~30年代のドイツとの非常に大きな違いだという。   私:ナチスの台頭も、既成政治への不満が発端だったが、政治的な環境は全く異なるという。  まず、30年代前半の有権者の多くは(第1次大戦まで続いた)帝政ドイツの専制主義的で非民主主義的な時代に生きてきた人たちで、ワイマール共和国下での12年間の民主主義は経験していたが、それは大戦の敗戦によってもたらされたものという意識だった。  敗戦はドイツ帝国や王政のせいではなく、ドイツ革命や社会民主主義者のせいだと考え、敗北感と民主主義とが結びついていた。 専制主義の伝統に慣れた33年当時の有権者は、議会制民主主義が機能していないと感じたからこそ、既成政治を打破し、国家の安定と国力を回復し、解決策を示すと訴えたヒトラーのような人物にひかれたのだという。   A氏:日本の「押しつけ憲法論」と似ているね。   私:ヒトラーは巨額の赤字国債によって軍事的な支出を増やし、人気を高めていく。  数年後に戦争や周辺国の占領で賄えるという前提だったのろうが、35年の再軍備宣言(ベルサイユ条約の破棄)、徴兵制の復活は極めて高い支持を得た。 新たな体制と党による全体主義、専制主義的な圧力だけでなく、人々がそれに慣れ、そうした政治的変化を国家にとっての成功だと信じていたから、仮に38年のドイツで自由選挙が実施されていたとしてもヒトラーは過半数を得ていただろうという。   A氏:いまのドイツの有権者意識は、当時と比べて、戦前とは全く異なり、70年に及ぶ安定した民主主義と議会制度を経験し、同性愛の権利、男女同権といったあらゆる面で社会が自由になった。 全体として成功の物語であって、(EU本部のある)ブリュッセル支配への不満などに比べて、欧州が発展したこの70年間の平和ははるかに重要なものだと、ブレヒトケン氏はいう。   私:最後に、ブレヒトケン氏は「少なくともドイツでは、社会の安定が必要だと確信する人の方が極右、極左の動きよりも活発だと私は信じたい」という。    揺れ動くフランスと比較して、ドイツ国民は安定していてポピュリズムに陥らないという感じだね。

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