知的漫遊紀行

2018/01/09(火)06:39

「働き方、『正解』に縛られない 『日本のため』より自分の声に正直に」8日朝日新聞・「文化・文芸、逃走/闘争 2018:5」欄

私:昨日、テレビ番組を見ていたら、産経新聞社論説委員・河合雅司氏著「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」 (講談社現代新書)をとりあげ、著者を呼んで1時間番組をやっているのを見た。   先進国のトップを切っている日本の少子高齢化のゾッとする問題点がクローズアップされた。   A氏:この本の読者評に「人口動態とそのインパクトは、この本にあるように20~30年先の予測が可能です。逆に言えば、現在直面する人口減少・高齢化とそのインパクトは20~30年前から分かっていた筈ですが、つい最近まで無為無策だったことに政治と行政のレベルの低さと劣化を感じます」とあるが、その通りだね。   私:少子化は、すでに1940年代に問題となり、生産労働人口は1990年代より問題になっている。   それに対して、政府は何も効果的な手を打っていないで、昨年の選挙で安倍首相が「少子高齢化は日本の危機」だといい出した。   読者評にある通り「危機」は遅くとも20~30年前から分かっていた筈で、今更、「危機」というのは、政治と行政のレベルの低さと劣化を感じるね。   A氏:テレビでは河合雅司氏は、対策の基本理念として「縮む」ことだと言っていたね。   これは高度成長再びという「成長志向」の否定だね。  「縮む」という発想は、このブログでふれた「都市を離れ『野生』に飛び込む 山あいで狩猟や農業、五感通し『生きる実感』」の生き方に通ずるね。   私:少子高齢化に伴う労働力不足が懸念される中、政府は「働き方改革」をうたい、女性活躍や男性の育児参加などを訴える。 電通の女性社員が自殺したのは過労のためと労災認定されると、企業側も雪崩を打つように働き方改革を叫ぶようになったが、長時間労働や非正規雇用で労働力を調整してきた構図は複雑で、政府も企業も成長の目標を手放さず、現場に変革を求める。  「縮む」志向がない。   A氏:『「働き方改革」の不都合な真実』(共著)などがある千葉商科大の常見陽平専任講師は、こうした上を目指し、働く人に無理を強いる現状に「第2昭和をつくろうとしている」と批判的。  「目的達成率の高い人を前提としたら生きづらい社会になる。サービス残業が増えるだけの『働かせ方改革』だ」と指摘。   私:まだ、「成長志向」だね。    常見陽平氏は「各個人が人生で大事なことを明らかにし、『自分の気持ちのいい場所』を見つけていくしかない」という。   「縮み」志向だね。  「自分を縛りつけるものから」の「逃走」だね。   A氏:慶大の若新雄純特任准教授は、結論づけられないものは避けて、一つの答えだけを評価してきた戦後の日本人のあり方を「正解教」と表現し、「正しい家族」「手に入れるべき家電や車」、そして「正しい働き方」もその一つであるとみる。   私:画一的な就職活動に違和感を抱く若者向けの「就活アウトロー採用」など、若新氏は多様な働き方を提案してきて、福井県鯖江市では、地元での就労や就農を前提としない「ゆるい移住」施策のコーディネーターも務めた。  高学歴やスキルを身につけ、安定した組織で働くという、そんなかつての「正解」モデルから逃れた若者もやってきた。   A氏:バブル崩壊以前は物を次々と手にすることで得られたと想像するが、低成長時代を生きる自分の尺度は、過去の自分と今を比べる「自分相対」だという。   私:安倍首相は将来、ITを駆使したIoT業界の成長を期待すると年頭に言っていたが、すでに少子高齢化でIT技術者の不足が予測されている。   少子高齢化を「日本の危機」といいながら、政策に「危機感」が乏しく、逆方向の手を打っていると言わねばならない。  「危機」なのは少子高齢化ではない。  それに対する手を20年、いや、30年も放置してきた政治の劣化、怠慢であり、いまだに厳しい反省のなさである。   

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