知的漫遊紀行

2018/05/16(水)17:06

「『良い』ジャーナリズムとは ニュースの総体、理解深めて」慶大准教授・山腰修三氏・16日朝日新聞・「メディア私評」欄

私:ソーシャルメディアの発達と普及は、誰もが「評論家」になることを可能にし、ジャーナリズムやニュースメディアは格好の批判対象。    ただ、そこには矛盾した状況があり、ある報道の「裏」や「意図」を積極的に読み解こうとする姿勢と、ジャーナリズムの意義に対する無関心やシニシズムが奇妙に同居していると山腰氏はいう。    ジャーナリズムやニュースメディアへの批判、不信が、これほどまでに広まったのは、ソーシャルメディアの普及と、そして広い意味での「メディア・リテラシー」の向上の結果。   A氏:「メディア・リテラシー」はニュースやドラマ、広告といったメディア・コンテンツを「批判的に」読み解くことだと理解されており、現代社会では、多くの人々にとって、政治の世界も、あるいは解決すべき社会問題もメディアを通じて経験されることになり、人々が政治的な争点や社会問題を知り、あるいは理解するうえで「ニュース」がその手がかりとなる。    しかし、どのようなジャーナリズムが「良い」ものなのかを見極める力が社会の中で定着し、あるいは向上しているとは言い難い。    「良い」ジャーナリズムとは何か、ジャーナリズムの世界で、あるいはメディア研究の領域では、「調査報道」こそがその典型と見なされることが多い。   「調査報道」とは、まだ知られていない(あるいは隠された)出来事や争点を掘り起こして明るみに出すジャーナリズムの手法。   私:「調査報道」は、通常、多くの権力資源を有する個人や集団、組織、すなわち権力者や権力組織の不正や汚職を追及する。   その際に、公的な組織や人物によって発表された情報だけでなく、公文書や内部告発などを活用した独自取材を行う点に特徴がある。   米国でニクソン大統領の辞任につながった「ウォーターゲート事件」を究明したワシントン・ポスト紙による「調査報道」がその代表。   日本でも、朝日新聞による「リクルート事件」報道をはじめ、多くの優れた「調査報道」が存在する。   こうした点では、3月の「財務省の公文書改ざん問題」に関する朝日新聞や毎日新聞のスクープは、「調査報道」として高く評価されるべきだと山腰氏はいう。   A氏:「調査報道」の意義を再確認する潮流は世界的にみられ、例えばハリウッドでは、「スポットライト」や「ペンタゴン・ペーパーズ」といった「調査報道」を主題にした映画作品が近年、立て続けに制作。   要人たちの租税回避に関する「パナマ文書」の問題では、国際的な「調査報道」のネットワークによるビッグデータの解析というデジタル時代の新たな「調査報道」の可能性が示された。   「調査報道」は、一般の人々にとっても「勧善懲悪」のストーリーとして理解されやすく、したがって、「調査報道」を「良い」ジャーナリズムの典型と評価する文化を広めていく戦略は確かに効果的。   私:しかし、山腰氏は、ジャーナリズムのあるべき姿を「専従チーム」を立ち上げて取材にあたる「調査報道」のみに還元するのでなく、「政治部」「経済部」「社会部」といった部署の日常的なニュース制作の現場には「良いもの」は存在しないのか、論説やフォーラムといったニュースメディアの機能はどう評価されるべきなのか、と問うている。    デジタル化が進展する現代社会において、ニュース文化全般について改めて理解を深める必要があり、そうした基盤があってこそ、ニュースやジャーナリズムに対する批判は有意義なものとなるとして、山腰氏は、この欄では、これからニュース文化の現状について多角的に検討していきたいとしている。    次回を期待したい。  

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