2006/07/26(水)18:19
国によって死の基準が違う?
脳死について気になるニュースがあった。
<脳死>米国・カナダで判定の3人、日本帰国後に意識回復(毎日新聞)
これがどうして気になるのか?
それは、「国によって死の条件が違う」ということだからだ。
確かのその国の宗教観などから違いが出るのかもしれない。
しかし「人の死はひとつ」という考えの方なら疑問が残る。
上の報道では、国家間どころか病院間でも脳死の判定基準に違いがあるという。
この問題は、臓器移植を考えるとよくわかる。
つまり、「意識回復の可能性がある人を脳死と判断することがある」ということ。
そしてまだ回復する可能性があっても臓器の移植が行われてしまう可能性がある。
日本では、脳死からの臓器移植は15歳の壁がある。
そのため子どもの患者は海外での臓器移植に望みをつなぐこともある。
どうして日本では年齢制限があるのか?
その理由の一つに「子どもの可塑性」がある。
これは、子どもの場合大人よりも回復する可能性が高いということだ。
人の死をめぐる議論はまだまだ続くだろう。
このニュースで「脳死は人の死ではない」という主張も強くなるかもしれない。
「人の死は臓器提供のためにあるのではない」ということも言われるだろう。
だからこのニュースは気になる。
人の死とは何なのか?
まだ議論は足りていない。
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