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ここ4年間、昼食時(たいてい2~3時頃)に毎月2、3回ほど通い続けている中華料理屋がある。今日も久しぶりに暖簾をくぐった。注文するのは、決まって「五目やきそば」で、ふんだんに野菜が盛り付けられているその一品がなんとも言えず琉賢をとりこにし、飽きることがない。店員はすべて中国人で、本場の味を忠実に生かしながら、日本人の味覚とも中和させ、最良の料理を提供しているのだろう。
このほかにも、うどん屋や定食屋などいくつかの行きつけの店がある。食事が不規則な職業でもあり、立ち食いそばなども多いが、だからこそ月に数回の「定期的」な食事が楽しみの一つでもある。 朝食はほぼコーヒーのみ、夕食はコンビニやほか弁が主食となっている生活の中では、たまのきちんとした昼食が食生活の支えとなっている。 毎日、昼食時にファーストフードや牛丼屋に長蛇の列で並んでいるサラリーマン、OLを横目に通り過ぎ、最近のBSE問題で、牛丼は「日本の立派な食文化」とマスコミ等で取り上げられることに複雑な心境を抱く。 自身の食生活ではえらそうなことは言えないが、正直、安い、うまい、早いの食事が、「日本の食文化」として立派な地位を確立していると言い切るにはちょっと違和感がある。それだけ、日本人が食事に割く「時間や金銭的余裕」がなくなってきた現実の裏返しと言えるのではないか。しかしながら、決して牛丼屋を非難しているわけではないので悪しからず。琉賢も年に数回は利用しますので。 「食」は、幸せの度合いを量るバロメーターの一つと言っても過言ではない。だからこそ世界中で「文化」としての位置づけにまで高められている。 「一時的」にメニューから消える『品物』よりも、各国の文化として「長年」歴史を重ねてきた『味覚』をじっくりと生活の中で見直すことも大切なことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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