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最近、自分て見栄っ張りなのだなと思う事が多い。
確かに日本人は見栄っ張りな所があると思う。 特に日本の男性は見栄っ張りだと思う。 私もその一人であるが、自分でも思うが買い物をしても 買わなくて良い物を薦められると買ってしまう。 そこには私なりの見栄があると思う。 今回もスマホの機種変更に行って、相手から薦められて それ程必要で無い物も「いいよ」と言って買ってしまった。 後から考えると必要性は低いのであるが、断らなかったのは 自分が見栄を張ったからなのである。 それ程余裕がある生活をしているわけでは無いのに 余計な物を買ってしまう。 自分は性格的に単純なのであり、嫌とは言えない部分もあるが 別な角度から考えると、見栄っ張りなのである。 男は会社などでも、見栄で生きている部分がある。 仕事上では見栄も必要な時が多い。 見栄を張らなければ男は仕事が出来ないと思われる部分も多々ある。 そこは仕事をしている男性は持っていると思う。 私も若い頃は、今よりももっと見栄っ張りであった。 それで仕事を乗りきった部分も沢山あったし、 そうしなければならない立場にもなった事がある。 特に自分で会社をやって居た時には、見栄の張り通しであり それが自分のストレスにもなった事もある。 その頃は、そうしなければならないと思って そのような行動に出たのである。 見栄も人の通る道であろう。 特に日本は見栄の文化が強いように思うのである。 それは私が海外に居た頃は、最初の頃は日本と同じ考え方で 仕事を行っていたが、ある時から、この国で見栄を張っても 何の徳にもならないと思う様になった。 彼らは自分たちの思うがままに生きている。 一部の人は見栄で生きている人達も居たが、私の周囲では その様な人が少なかったから、私もそれに感化されて 自分なりに生きて見ようと思ったのである。 その様に考えると気楽に生きられるものだと感じた。 日本では見栄を張って、自分を背伸びしていたように 思う様になったのである。 それは自分を評価させる為には、その様な態度に出なければ 日本では自分を相手に分かって貰えないからである。 男は働いて「疲れた」と家庭で言うのは、その様な見栄を 仕事上で行うからであるからなのだが、それを奥さんは 分かってくれない部分が多い。 それで揉める部分が私たちの時代であった。 海外では自分なりに見栄を張らないで、生活していたら ストレスも無く、気楽な気持ちで生活出来、 永住したと思ったほどであるが、任期があるので無理であった。 海外から帰国したら、また、日本での生活で見栄の文化に 自分も戻り、そうしなければ自分を表現出来ないでいるが 年齢とともに見栄を張る事は少なくなったが、 日本での生活が長いので、まだ見栄を張る部分が多いと思う。 見栄も文化なのであるが、ストレスの根源でもある事が 分かって来たし、それを取り除こうと思っても自然に 見栄を張っている自分がいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.10.16 09:12:48
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