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2016.09.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類

最近は色々な事を頼まれるが、それに対する対応が自分なりに

出来ているのか疑問に思う時がある。

同時に結果を出さなければならないが、相手側が果たして

そこまで考えているのであろうかと思ったりもする。

 

ただ、自分は、行動力はあると思っていた。

思って居たのは、若い頃から何事に関しても動いて結果を

自分なりに経験して、それを積み重ねて来たのである。

 

だから、理論では無く、行動で覚えるタイプなのであろう。

確かに理論的な物は必要と思うけれど、それを行動しなければ

結果は出ないと思っている。

 

これは子供時代の環境から来たのであろう。

幾度かブログにも書いたが、差別と偏見の目の中で育ち

それを跳ね返すには、結果を出すしかない状況であったから

それが根本なのであろう。

 

子供時代は施設であり、普通の学校に通うが、

そこには何時も「施設の子」と言う周りの目があった。

その状況を跳ね返すには、相手より上に行くか

暴力的な行動で威圧するかに成って居た。

 

多くの施設の子供達は、暴力的な行動を起こして

その偏見から逃れていたのであるが、私は逆を行った。

偏見の目で見る奴らの上を行けば、良いと思ったのである。

 

だから学業でもトップクラスを狙ったし、

それなりに周りから一目置かれる存在となり、

クラス委員に選ばれたりもしたのである。

それは相手より行動が早く、相手の上を行く結果で

認めさせたのである。

 

その様な生き方をして来たのが、成人に成っても

変わらないのであろう。

その時代に培った物が、行動を起こし結果を出せば

誰しもが認めてくれるし、認める事しか出来ないのだと

思う様になったのである。

 

だが、何時も成功するわけではないし、失敗も重ねる事が

多い事も経験して、その失敗が次の行動の糧に成ったと思う。

 

それは論理的に考えるだけでは得られない事が多い。

行動の中で思考錯誤する事により、得られる物は

書物から得られる知識より現実味がある事は間違いない。

 

確かに書物から得られる知識も重要であるが、

それを生かして行動を起こす為の知識なら良いが、

只の論理的な事を、言う為の物では

生きないであろうと言う考え方が、私である。

 

現代社会は試験の為に、書物から知識を得て、

それで試験に受かり資格を取って行く考え方であり

試験で取った資格を重要視しているのが現代の教育や

企業であるし、一般人も資格を持っているかで判断する。

 

これは人の判断基準としての一部分であれば良いが

今は違っている為に、学校教育も知識を詰め込み試験を

重視しているから、人間的教育がなされていない。

 

これは、あくまでも私の考え方であるが、教育とは人の

特性を伸ばす事が重要であり、その子の特性を生かしてやる事が

大切であるが、それが出来て居ないのが、今の学校教育であろう。

 

確かに、その様にやる為には多くの人が必要になるが

それだけでは無いのが、現在の教育者が前記した知識で育ち、

詰め込み型で試験が受かって居る為に、同じ様な方法で

教育を行う考え方だからである。

 

人には、それぞれ特性があるし、問題点もある。

その部分を判断して、教育すべきであり、

詰め込み型の教育では、その子の特性も生かせないし、

将来的に学校教育は何なのとなる。

 

私もそうであるが、学校で習った事が社会で生きた部分は

無い事は無いが、何のために学んだと思う事が多い。

 

思い出すのは、先生の教え方と、自分の特性を生かしてくれた

先生を思い出すが、受けていた授業学習は試験の為に

だけだったと思う事が多い。

 

これから若者を育てる事に関わるが、其の部分を重視したいが

きっと、この意見は衝突するであろう・・・・。






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Last updated  2016.09.11 06:49:18
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