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虐めや虐待などや、その他の事で問題になるが、
これは日本人の風土が生んだものであり、それを変えない限り 変化しないように思える。 特に虐めや虐待などもそうであるが、社内的な不正を 内部告発した場合も、告発者は村八分的存在になる事が多い。 虐めでも虐待でも問題が起きると騒ぐが、一時的に 騒ぐだけであり、今の日本人の考え方では、解決の道は程遠い。 基本的に私たちが受けた教育は、チクリ屋を嫌うし、 それが正しくても、チクった人は嫌われる傾向が当たり前と 考えている。 これは子供の頃から受けた教育が影響している。 私達の子供の頃もそうであったが、私達が悪い事を学校で 集団で行った場合に、先生に言いつける人が居たら、 その人に対して虐める傾向があったし、相手にしないのが 普通であった。 それが子供達の掟であり、当たり前だと言う考え方あった。 言いつけた生徒は、正しいと思って言っているのであるが それは子供の中では、只のオベッカ使いであり、好い子ちゃんに なっているだけだと言うのが私達の子供時代であった。 その考え方は今も続いているであろうし、子供の頃からの 教育が社会人になっても引き継がれるのが普通であろう。 組織も会社も同じであり、人は正義と言うが正義の方向が 組織や会社内の基準なのか、消費者に向かっているかで 考え方が違う。 仮に大多数の消費者に向かっていたら、会社に対する 離反と取られる事が現実である。 それが会社の利益為の偽りであって、殆どの人は言わないのが 会社を守るのと自分を守る為であると考える。 それを消費者側に立ったら言うが、それは相当な勇気が居るし 難しい問題であろう。 上記の事を遣った人に対して、会社は許さないのが現実である。 その面では風土的に、正義とは何かと言う部分を考えるが 子供時代の教育から、その様に仕向けられているので 問題が起きた場合に隠蔽や国会議員の嘘も認めるのが 一般なのであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.03.26 07:04:43
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