以仁王を探せ【いろいろな切片032】 なぜ菊芋の切片を並べたのか?(2023/12/01)
田舎道をポンコツ車を走らせていた時に菊芋の話が出た。血糖値を下げるイヌリンという成分が含まれている里芋みたいなコロコロした芋。人間がランゲルハンスという島でわざわざ面倒な回路で製造するインシュリンとよく似た物質なのだという。芋のくせにやりやがる。イヤ分類上は芋ではないらしい。食感が全く違うのだと。これはもう喰ってみたいと、何処かに売っていないかと。気になるとそればっかりになるのが私という残念な生き物の特徴である。血糖値が上がっている。 するとどうだろう、カーブの先に農産物直売所があって、菊芋入荷と大きく書いてある。運命である。私はこういう小規模の運命を必ず引き当てる男である。小さな袋だがゴロゴロと10個ぐらい入って100円であった。これってどうやって食べるんですか?普通に煮物とかみそ汁とかに入れるよ。生でも食べられるよ。結構ハードルが低い食材と分かった。スライスして干せば保存食となり、成分の劣化もないのだというので4袋買って帰った。そしてよく洗ってスライスして干したところである。白い断面が諦めたように風に粘膜を晒け出している。 話は飛躍するが私がモノを書くときになぜ切片を並べるなんてやり方になってしまうのか?それはもちろん集中力が持続しないからである。まとめる力がないからである。それしか方法がないから。そしてそれがわたしにしっくりくると私自身がたぶん初めから思ってきていることだからである。私の書いたモノを知らない向こう側で読んでいる相手に何か期待しているようなことではない。自分の書いた細部に、その単語のいちいちに愛着がある。単語がゴロゴロした種芋のように無造作に土中にあるような感じが好きだ。何度も読み返して、大きな流れをボンヤリと反芻すると、そのラフな私の気持ちの流れがごたごたした細部に宿っている。 今回の以仁王のことでは、まず書きたかったのは確かに歴史のこと。歴史と呼ばれる分類項目の雑多な寄せ集め。その中のごく狭く特殊な領域についてのこと。この本は歴史の研究を中心に据えなくてはならなかったが、それ以上の「人間存在」への疑問というどうにも解きにくいテーマを脳裏に常に引き摺っていたのである。