以仁王を探せ【いろいろな切片018】 長寿は無聊で退屈なモノなのか・・・
実は私は腹癒せで云うつもりでもないが、この夏山老人が本人が申告しているほどの長寿でもないような気がうすうすして来ていた。話していれば見て来たのか見て来たような嘘なのか弁別できるような気もしてきた。色々どころか大して目撃してきたわけではないことが分かって来た。千年は生きていない、せいぜい二百年ひょっとしても三百年というあたりではないかという気がして来ていた。数字に根拠はないのだが一つよく分かったのは長寿というものはやはり無聊で退屈なモノであり話相手が欲しくてたまらなくなるものだということには間違いがないということ。この夏山老人とてどう強がろうとその束縛からは逃れられないしその気も無さそうだ。 じっさい老人はこんなことも言った。「お前が歴史を研究するのは他人の人生の真実を知りたいからだと言ったが、それは儂が死なない理由と同じだ」「長生きというものは体が動かせて頭さえ働いていれば楽しいことだ。また新しい奴と喋るということが楽しみであるうちは大丈夫だが、それがストレスになってくれば自然に心を閉ざす。そうやって死に向かうことになるんだろうな。自分の知った奴と決まりきった事しか喋りたくなくなるから、そういうのが周りから消えて行ったらまあ死ぬぐらいのことしかなくなるんだ。儂はだから我慢はしない、今は退屈だからぎりぎりで相手になってやるだけだってことだな。」「はあそうですか。我慢できなくなったら・・・その時はどういう・・・」鏡を見ると老人は消えていた。声だけがした。「こんなふうに消えるんだよ」(つづく)