このたびの旅~バーガーキングかマクドナルドか
ウィーン11日目。タイトルは「バーガーキングとマクドナルド」にしてもよかった。高級なレストランに入ればちがうのかもしれないが、地元の人で繁盛しているような店に入っても、おいしい食べ物に遭遇する確率が限りなくゼロに近いオーストリア。いちばんの後悔は、日本から電気でお湯を沸かす道具とインスタント食品を持ってこなかったことである。サンドイッチに生もやしのことは書いたが、グリンツィングの居酒屋で食べたニョッキもひどかった。紫タマネギがたくさん入っているのだが、それが生なのである。ほんの少しでも火が通っていれば、甘みが出ておいしいだろうに、完全に生なので辛いだけ。しかもオーストリア料理は全般に塩分が多い。中国人がやっているような店で食べても現地人の味覚に合わせているせいか塩辛い。血圧の高い人はウィーンで外食してはならない。おいしいまずい以前に、アジアとは根本的に食文化がちがうのを感じる。海産物や発酵食品のおいしさを知らないせいなのか。たぶん酢でしめてあると思うがイワシかサバを挟んだサンドイッチを見たが、日本で売り出したとして誰が食べるだろうか(笑) チキンライスを食べてみたらケチャップで味をつけたチキンにふやけた長粒米がくっついているだけのしろものだったし、スパゲッティ・ボロネーゼを食べてみたら子供のころ食べた給食のうどんのようだった。ソースに少しオレガノを入れるだけでおいしくなるのに、肉の生臭さがそのまま出ていた。しかも日本人にとっては一人前が多すぎる。高い、まずい、おそい、塩分多すぎ、量多すぎの5重苦がウィーン料理だと思えばよい。ウィーンの中華料理やその他の各国料理も推して知るべしだ。焼きそばや炒飯、お鮨、白いご飯に焼き肉をのせたような「なんちゃって和食」は中国系のチェーンレストランで食べられる。しかしこれらも塩分過多でおしなべてまずい。しかも店員の愛想のないことはあのウィーン人でさえかなわない。食わせてやっているという態度の店員さえ珍しくない。どうもこうした中国人は人間ではなく爬虫類に見えてしかたがない。中国系爬虫類と呼ぶべきか、それとも爬虫類系中国人と呼ぶべきか。まあ気だてのいい中国人がいないわけでないので後者だろう。元気寿司やカッパ寿司はウィーンに進出すべきた。お鮨をおかずに白いご飯をセットにした「幕の内定食」を出している中国チェーンのでたらめを粉砕せよ!中国人がやっている店は衛生状態にも問題があるようで、そうすると外食する場所がない。そんな中で、早くて安くて量が適当でまずくはないものとなると、バーガーキングとマクドナルドのハンバーガーしかない。どちらも一個1ユーロ。野菜サラダも1ユーロなので、ハンバーガー2個とサラダ、とりあえず3ユーロで一食がまかなえる。オーストリアまできてこの2社のハンバーガーを食べ比べることになるとは想定外だったが、パンがパサパサなのを除けば、味はマクドナルドに軍配が上がるような気がする。ただ店員教育はバーガーキングの方がいいようで、初めて日本的な応対を経験した。マクドナルド(アメリカ本社の方)株は買いではないだろうか。日本ではあんなものを食べる気にならないが、ヨーロッパのプロテスタント国ではいずれ一人勝ちになる。ユースを泊まり歩いているような旅行者は、朝食はユースのビュッフェでたらふく食べ、昼食はBILLAなどのチェーンストアで買ったパンに野菜や缶詰の肉をはさみサンドイッチを手作りしている。これを書いているすぐ隣でも、長身のブロンド美女とガーネット美女ふたりが、そうやってサンドイッチを作って食べている。缶詰が何かはラベルがないのでよくわからないが、ツナかレバーペーストのようだ。こういう若者がいる限りその国は大丈夫だという気がする。この美女二人はドイツ語をしゃべっているので、ドイツ人か、地方のオーストリア人だろう。きのうザルツブルクを歩き回ったせいでとうとう足のマメがつぶれた。しかし旅も残り少ないとなると急に未練がわいた。歩き回るわけにはいかない。そこで、一日券を使って、地下鉄や路面電車の終点まで行って帰ってくることにした。これはおもしろい思いつきだった。路線によってははずれもあるが(18番の路面電車は地下にもぐってしまう)、素顔のウィーン及びウィーン人が見られる。中国人はどこにでもいるのでアジア系の人間がほかにいても注目されることはないのが残念だが、子どもが大勢いると思ったら動物園だったり、妙に若者が多いと思ったら学校があったりする。ウィーン人は繁華街で日の高いうちから全員がビールを飲んでいると思ったら、そうではなかった。夜はコンサート2つとオペラのどれにするか迷った。ムジークフェラインではティーレマン指揮ミュンヘン・フィル、コンツェルトハウスではアンドラーシュ・シフのピアノ・リサイタル、そして24日に見たウィーン・カンマー・オペラをもう一度という三択がどうしても決められない。ムジークフェラインに行ってみるとステージ上の券しかないという。するとおばあさんが寄ってきて45ユーロの券を40ユーロで買わないかという。渡りに船で、それならとチケットを買い、2階バルコニーの右列でブルックナーの交響曲第5番を聴くことにした。この席は舞台は半分も見えない。しかし不思議なことに音響はよく、見えない位置の金管やバスが豊かにきこえる。ティーレマンはネオナチ思想の持ち主としても知られる指揮者で、したがって積極的に聴きたいとは思っていなかった。しかし、ドイツ系では久々の大物指揮者であることは間違いないので、時々はフォローしたい。以前に聴いたのは20年近く前で、ティーレマンはまだ30代の駆け出しだったと思うが、音楽に力みがありすぎて感心しなかった。しかし歳月は人を変える。格段とスケールの大きな、それでいて緻密な音楽を作る巨匠に成長していた。ミュンヘン・フィルを聴くのは16年ぶりだが、かつての二流オーケストラは一流、もしかすると超一流に成長していた。ドイツのオーケストラらしい重厚さと現代性がちょうどよくバランスした理想的なオーケストラになったよう。もしブラインドテストをしたら、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの合同オーケストラと感じるかもしれない。バイオリンは明朗で低弦はおそろしく重厚に響く。圧倒的なブルックナーだった。フィナーレの、押し寄せては返す波の高揚は白熱しながらも小さくならず、ふっと力をぬく絶妙な指揮がオーケストラを理性的にする。理性的な高揚とクライマックスでの爆発。これはカラヤンの美学だが、ティーレマンはより構築的。聴衆も沸いた、というより熱狂した。こんなにブラボーがとんだコンサートはなかった。カーテンコールも10回を超えたかもしれない。オーストリア人のドイツびいきもあるのかもしれないが、何よりも音楽的なセンスが彼らの好みに一致するのだろう。結局、ムジークフェラインでは4つのオーケストラの6回のコンサートを聴いた。座席もいろいろ試した。思うのは、モーツァルトの交響曲くらいのサイズのオーケストラだとちょうどいいホールだということ。編成の大きな曲だと残響が大きすぎることがある。今回、モーツァルトを演奏するオーケストラがひとつもなかったのが残念だ。1700人収容の大ホールでモーツァルトというのは彼らの良心がゆるさないのだろうか。