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5月29日に妻の入院の事を書きましたが、妻の病状を心配して、息子達が3泊4日で様子を見に来てくれました。息子達が帰った翌日から、法事で1泊2日かけて東北に行って、帰ってきたところです。「夜間、痰の吸引は必要ないから」と言って、ショートステイ先を確保する事が出来ました。
新幹線が福島県を走っている間中、多くの家の屋根にブルーシートが今でも掛かっている状態が続いていて、地震の大きさを改めて感じました。 さて、「これまでの経過」もあと2回を残すのみですが、経過から分かるように、2-6ヶ月毎にカクカクッと症状が進行する様です。幸か不幸か、私の定年までは、何とか仕事と介護の両方をやる事が出来ました。しかし、定年と共に全面介護生活に入ると、ついに胃瘻設置の時が来てしまいました。 ―――――――――――――――――――――――――― これまでの経過(4) ●2008年(平成20年)1月、おしりの所に褥瘡が出来る。 ・注意しないと関節が固まり、動かなくなる。 ・要介護度5になる。 ・5月、一時的に完全に脱力状態になった。意識ははっきりしていたとのことだった。 ・頭と体は熱いが、手足は冷たい状態が続く。気温が20度を超えると汗びっしょりになることが多い。 ・10月、ここ数ヵ月間、首の固定具を利用していないが、2時間程度なら車椅子の上でも我慢できるようになった。 ・尿詰まりも一進一退である。 ・12月、ここ10日ほど深刻な状態が続いている。(1)普通の太さのストローで水が吸えなくなった。直接コップを口元に持って行った方が飲めるようだ。(2)トイレでの足の踏ん張りが利かない。両手で支えても、5秒も一人で立っていられない。(3)トイレの中でも気がつかないうちに眠っているし、ベッドでも直ぐ眠ってしまう。(4)同じ事を聞くことが多くなった。(5)声が極端に小さくなり、1回ではほとんど理解できない。(6)玄関前の緩やかな階段も、体を支えただけでは上がれなくなった。(7)物を食べるのが遅くなった。特に堅いものや大きいものを口に含んだ時に遅くなるようだ。スパゲッティを食べるのに1.5時間かかった。(8)おにぎりは一人で食べるのが無理になった。手に持っている内におにぎりを握りつぶしてしまう。(9)便が出たのが本人にも分からない。(10)歯茎の上に付いた食べ物の切れ端(ネギなど)を舌で上手に口の奥に持って行けなくなり、何時までも残るようになった。 ●2009年4月、私が定年で退職――これまでは職場と介護の両立がかろうじて出来た。 ・7月、トイレでの介助が大変になった。一人でつかまり立ちがほとんど出来ず、常に支えている必要が出てきた。尿の後、自分で拭けなくなった。 ・声が小さく、不明瞭になり、私が聞き返す事が多くなった。 ・食べにくくなった物がある。口内の上側に着きやすいもので、乾燥したパンや野菜である。カステラのようにパサパサせず、シリアルのように牛乳に十分漬ける事が出来るものは大丈夫だ。 ・37から39度の熱が出る日が続いた。足から始まって、胴体までだんだん汗をかかなくなったので(顔と頭は大汗)、“うつ熱”だと思う。 ・薬を飲むのがほとんど不可能になった。食前薬(1錠と1カプセル)に1時間、食後薬(カプセル2錠分*1-3回)には1回につき1-3時間かかる。 ・9月、自宅で、経鼻栄養を行う。 ・10月、J大学病院で胃ろう設置。 ・しゃっくりが頻繁に出るようになった。運動系の能力低下も横隔膜にも及んでいるのではないかと気になる。 ・いびきがさらに大きくなり、質も変化しているように感じた。質の変化とは、普通のいびきではなく、音が古家を通る風の音のようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.01 00:53:14
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