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自然のただ中にいるとき・・・人智を超えた風景に出会うときがある。 ヨットで荒天帆走(荒れた海でのセーリング)の時に出会う大波の存在感。 海上で真下からから見上げた積乱雲の壮大な造形。 真っ暗な海に、青白く夜光虫が光るヨットの航跡。 激しいにわか雨に跳ねた海上の波しぶきに直線に延びる虹。 月光に浮かび上がる真夜中の虹。 夏雲をピンクに染めて閃く雷光。 夕日に照らされた積雲直下の影の無い茜の世界・・・・ そのような風景に出会うたび、言葉に変換できないメッセージを受け取っていると感じる。 人の持つ言葉という道具では、こなし切れないほどの膨大な容量の「何か」が流れ込む。 その時、僕はただ呆然と流れ込む「何か」を受け入れ続けるしかない。 その「何か」は、身体の奥底にあるであろう魂を震えさせながら、畏怖の念を沸き起こさせつつ染み入る。 「何か」は「宇宙でありつつ光の粒子にも宿る」と納得せざる終えない絶対感をもって心に迫る。 そして、そのことが身体全体で受け入れられた時「絶対的な自由感」が去来する。 自然のただ中に存在出来ることは幸せなことだ。なぜなら「絶対的な自由感」を味わうことができるからだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.20 23:12:50
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