FIFAワールドカップ、南アの誇りと熱狂
サッカーのFIFAワールドカップ南アフリカ大会の熱戦をTVで見て、今から10年ほど前に、この大会のメイン会場近くに広がる南アの旧黒人居住区「ソウェト」を訪れた時のことを思い出した。 訪ねた時は、悪名高い同国の人種隔離政策「アパルトヘイト」が、廃止されてすでに10年経っていたが、そこは、泥んこや悪臭を放つゴミの中に廃材やトタンで囲っただけの小屋が、はるか地平線まで並ぶ広大なスラムだった。小屋の上にのしかかるように高圧線の鉄塔がそびえ、かなたの丘に原発らしい工場も見えたが、それらは全て白人やインド人地域へ電気を送るための施設。足元のソウェト自体には、電気はおろか、上下水道、ガスといったインフラは、ほとんど無く、従ってテレビなどの家電製品や冷暖房なども皆無。 ソウェトに仕事が無いから、多くの父親達は、都会の雑役や3K現場、鉱山などへ長期の出稼ぎに出かけて留守。母親達も、自分の子どもを祖父や祖母らに預け、遠く離れた白人居住区の邸宅に住み込みのメイドや子守りとして働きに出ている。 両親と離れソウェトに残された子ども達の日課は、遠い沼までの朝夕の水汲み。沼の水は汚れていて、子ども達はいつも体調が悪い。夕方になると、廃材やマキを燃やして老人たちが炊事をする煙が、あちこちから立ち込める。廃材の中には、当然ダイオキシンなどの有害物質が混じっているかも知れない。夜は、電灯が無いため、ローソクや焚き火の明かりだけ。とても21世紀の生活とは考えられない。 子ども達の唯一の希望は学校だが、行ける子は少ない。鉄道が近くを走っていても、駅は10キロも先、そこまで歩く途中も治安が悪く、女の子達は、通学の途中で常にレイプの恐怖に脅かされる。学校に行かない子ども達の、唯一の娯楽は、暴力だ。彼らは腕力の強さだけを誇りに、ギャング団を作って、ソウェトの中で暴れまわる。誰もが、疲れてイライラしていた。 当時、ソウェトだけで、名古屋市ほども人口があり、南ア全体では、他にもこうしたタウンシップと呼ばれる黒人居住区が、幾つもあった。地域によっては、住民のほとんどが、僻地からの不法居住者で、抜き打ちに行われる当局の一斉立ち入り検査にかかり、ブルトーザーで小屋を壊される不安に怯えながら暮らしている人も多かった。黒人は、法律で不動産の所有を禁じられ、一方、部族ごとに不毛の僻地に住むように強制されていたから、生きるためには、仕事のある都市近郊の黒人居住区に、不法を承知でもぐりこむしかなかったのだ。 都市や鉱山できつい仕事に明け暮れる父親達は、ストレスや家族と離れた寂しさを紛らわすため、安酒や、やはり生きるために集まってくる女達に溺れる。結果としてエイズの蔓延。それを白人政府は「あれは黒人の病気だから」と、何の対策もせずに放置していた。 一方、白人居住区にも行ったが、こちらは地区全体が鬱蒼とした緑に覆われ、花の咲き乱れる広大な庭にプール付きの豪邸が点在している。地域全体が塀で囲まれ、出入り口にはガードマンが立っていて、外部の不審者をチェックしている。こういう地域に住んでいる白人の多くは、黒人居住区の悲惨さを全く知らず、身の回りで雑用や下働きをしている黒人たちの出身地などに関心も無い。 これが、南アの人種隔離政策「アパルトヘイト」の実態だった。僕らは、ソウェトに生まれ育ち日本人の奥さんと結婚している写真家の案内で、限られた地域を垣間見ただけだったが、こうした実態は十分感じられた。それは「アパルトヘイト」廃止後10年経っていても、あまり変わっていないように見えた。 長い間白人政府により獄中に繋がれていながら、反「アパルトヘイト」闘争のカリスマ的中心人物であり続け、新生南ア共和国の初代大統領になったネルソン・マンデラ氏は、白人のこうした過去の非道を「許す」政策を掲げた。「許さ」なければ、果てしない憎悪と憎悪による復讐劇の連鎖が続くことになるからだ。一口に南アの黒人といっても、民族や言語の違う多民族の集まりだ。白人も含めて、そうした全民族・人種が共存する国という意味で、南アは自らを「虹の国」と呼んだ。サッカー会場で無数に打ち振るわれる同国の国旗のデザインも、それを意味している、と聞いた。この理念が、南アを周辺諸国から抜きん出る経済成長に導いたのも、事実だろう。 だからこそ、今度の南アのワールドカップにかける、特に黒人達の誇りと喜びは、客席からのブブゼラが鳴り響く会場のTV中継を見ていても、よく分る気がする。そして、街の治安の悪さも、この国の歴史を知れば当然だと思う。あの白人政府の「アパルトヘイト」の後遺症は、そんなにすぐに無くなる物ではなかろう。それでも、南アにとって、ワールドカップ開催は、「アパルトヘイト」後遺症から立ち上がる長い道筋の一つの段階なのだ、と信じたい。********―――― <森の住人から「ねぇ、ちょっと聞いて、聞いて」>をお訪ねくださって、有難うございます。<森の住人>は、1ヶ月ほど、森を留守にいたします。パソコンを持ち歩かないため、次回の[NEW] 記事の更新は、帰森後の7月27日(火)を予定しています。 その後は、今まで通り、毎週火曜日に[NEW] 記事を掲載の予定です。 <森の住人>から見た、身近な話題や世の中の動きに対する感想・エッセイを、楽しんでいただけると嬉しいです。では、また7月27日(火)に、お会いしましょう。暑い季節になりました。読者の皆様もお元気でお過ごしくださるよう!