|
カテゴリ:第一章■呪術都市
さて、政宗公が城下町を作る際に様々な呪術を施したのはわかりました。 仙台はまさに呪術都市だということは間違いなさそうです。 公にされていた鬼門封じのための寺社群などは別にして、親方が発見するまでの約400年もの間、国家機密として守られてきた城下の呪術のナゾが少しづつ解明されてきました。 その一つ、陰陽道のまじないに使われる星型六芒星。 陰陽道では陽の星を五芒星、陰の星を六芒星で表し、どちらも様々な霊的攻撃から守るためにつかわれてきました。 政宗公の兜の前立てには三日月の飾りが使用されています。 太陽の「陽」に対して月の「陰」を用いている事から、城下に「陰」の六芒星を用いたものと思われます。 六ぼう星の六角形は亀の形の’亀甲’として、めでたい形であるとも言えます。 仙台の城下町を上から覆うように配置されている事から、城下に住む伊達家の家臣たちを守るために作られたのでしょう。 そしてもう一つの’風水の呪術’、四神です。 四神は東西南北の四方位に獣の神様を配置することで中心を守り、繁栄を促すという思想です。 仙台では(天空の)四神を地上の寺社と自然の山で形作りました。 京都の地形もこの四神(北の玄武、南の朱雀、東の青竜、西の白虎)にあたり、千年以上もの長きに渡って繁栄をしているわけです。 仙台城下の六ぼう星と四神、どちらも幕府には知られないよう命がけで隠し通したという発見でした。 陰陽師親方の言霊 -六ぼう星の存在を隠してきたということが、「伊達家は徳川幕府に尻尾を振り振り従っているわけではないのよ、いつでも天下を取るため立ち上がれるのよ。」という、城下建設の際の政宗公、そして当時の重臣たちの意気込みの表れでもあるのです。それが六ぼう星なのです。無形の文化遺産、宝物だと私は思っています。- ちょっと待てよ、もひとつ忘れちゃならない「グランドクロス」? これは呪術ではありませんが、異様にキリシタンを擁護していた仙台藩のことを考えるとやっぱ気になります。 東西のラインは過去記事で説明済みですが、南北に関しては北の茂庭綱元の墓の石像が南を向いているという事で、北から城下までラインを下ろしてみただけで、城下を貫通はしていません。 (南に関係性のあるものがないか調査中です) 呪術の観点から考えるとこの東西のラインは意味不明ですし、かといってただの偶然の一致とは思えません。 実際に六芒星の中心(定禅寺通りと国分町の交差する地点)に立てばわかりますが、 西の方角と言えば道路に沿った亀岡八幡の方を示すでしょう。星の街仙台P5 傾いた街中では正確な西を探す事はできません。その先には青葉山があり、愛子(あやし)の方など見通すことはできません。 六芒星が傾いてそれに沿った町割を行ったため、方角を惑わす事ができているのです。 現代だからまっすぐに西に線をひけますが、当時であれば西といえば亀岡八幡の方角と言ってしまうでしょう。 六ぼう星の存在がわかれば、真の西に線をひく事ができるのです。 星の街仙台P25に記載のとおり、緯度と経度が一致しています。 六芒星のど真ん中を通っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.30 19:37:55
コメント(0) | コメントを書く
[第一章■呪術都市] カテゴリの最新記事
|