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カテゴリ:第六章■松島
松島湾(塩竈湾)に浮かぶ四島からなる浦戸諸島。 桂島(かつらしま)・野々島(ののしま)・寒風沢島(さぶさわじま)・朴島(ほおじま)。 この中でもとくにイタコ的に惹かれるのは、諸島の一番奥の一番小さな有人離島「朴島」です。 なんと人口38人!(H18年)、周囲2.2km! 「朴島(ほおじま)」は、もともと「鳳島」と書かれていたそうですが、伝説のとり「鳳凰」がこの島に住んでいた、という伝説からつけられたとも、また、「寶(宝)島」と書かれたとも。 これは仙台藩の軍用金や貴重な宝物をこの島に隠したからだと伝えられているとなっ! 「宝島」を「朴島」に改名したわけは、そりゃ、軍事機密ですもん人を寄せ付けないためでしょう。 もうひとつ気になる「野々島」の熊野神社。 ご神像の奥に、キリシタンの仏像が祀られているそうです。 松島にも隠れキリシタンはいたでしょうし、産金地帯(気仙)から運ばれた金銀財宝がこれらの島々に運ばれた可能性も充分にありますし。 そうなると常長さんがローマから持ち帰った『神の物』も一旦ここへ奉納されたのかもしれないヨ。。。 幕府の目付けの目を盗んで隠すには最高の場所だろうし。 塩釜~松島にかけては塩の生産地でした。同時に近隣の田園地帯では米なども豊作で、浦戸の島々は積荷の港町として栄えたのです。 埋蔵する財宝は、塩や米に隠して運ぶにはパーフェクトな環境です。 水主(かこ)衆は、海軍予備軍でしたでしょうし、もしかすると、横澤将監は水主衆のボスだったんじゃないかすら・・・・ 常長さんを迎えに太平洋を往復した人です。 水夫たちにとっては大尊敬の人物で間違いない。 とすれば、代々の墓が富山(とみやま)の大仰寺にあるというのも納得ですし。。。 五郎八姫が大仰寺にやたらこだわりを持ってたことも、晩年松島に頻繁に通ってたこともこの「神の物」があったから、、、? 五郎八姫は浦戸諸島を見下ろす丘の上に埋葬された。 ちなみに松島メイン通りからちょいと路地を入った左手に「スナック水主(かこ)」というバーがありました。行ってみたい このあたりは’お水主町’だったところです。 浦戸諸島はほとんど観光地としての位置づけはなく、島民の生活の場ゆえに別名「宝の島」だなんて、知る人ぞ知るのね。 イタコの妄想が暴走する 松島湾に浮かぶ謎めく島々よ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.31 09:36:17
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