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カテゴリ:第六章■松島
松島の富山観音の下にある大仰寺に、横澤将監の代々の墓があります。 横澤さんは現泉区の治水事業で名をあげた人なのに(将監沼や将監団地はこの人の名からきています) お墓がなぜ松島にあるのかずっと不思議に思ってました。が、 いまごろとんとん拍子に謎がとけて、しかも新発見もありました。 この人はもともと国分氏の次子で、分家して横澤と名乗り、その後後継ぎが生まれず娘婿が継いだり なんだりかんだりしてるうちに斉藤家とつながって、結局は横澤家の子孫が松島の手樽(富山の裏参道の麓地区)を拝領したようなのです。 で、横澤さんは常長さんを迎えに行った帰途のフィリピンで洗礼を受け、正式なキリシタンとして無事帰国したあと、政宗公から棄教させられてしまいます。 土木エンジニアとして優秀だった将監さんですから藩にとっては常長さん同様、生きててほしい人材だったのでしょう。 将監さんは根白石近くの赤坂という山の中で、(おそらく泣く泣く)ローマから持ち帰ったキリシタン関連グッズをすべて焼却したと古文書にあります。 それでそのあたりに将監沼を作って「赤坂の将監さん」と呼ばれていたようです。 焼いたのはたぶんダミーでしょうね。 この時も藩ぐるみで幕府の目付を欺いたのではないでしょうか。 京都の祇園祭りの山鉾に使われてるタペストリーは常長さんたちがローマから持ち帰ったもので、商人の手によって会津とかあちこち渡り歩いていつのまにやら京都に。。。 ローマ法王に日本の禁教事情を報告した16名のうち、後藤ジュアンに次いで将監さんの名前が2番目に記載されてるので、キリシタンの中ではトップクラスですね。 黒川郡のキリシタンの勢力はやはり支倉氏と横澤氏の影響が大だと思います。 ところでこの松島の富山を開山したのが、五郎八姫とツーツーの仲だった洞水さんなんですが、これがまた意味ありげなんです… つづく~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.01 00:25:39
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