慶文堂 ひま人日記

2007/02/19(月)10:53

懐古主義~スペシャルドラマ『関ヶ原』

懐古主義(31)

時は慶長5(西暦1600)年9月15日、日本を真っ二つに割って覇権を争った闘いが行われました。 その決戦の場となったのが『関ヶ原』。 歴史上重要で有名なこの闘いを描いた小説が司馬遼太郎さん原作の『関ヶ原』。 この小説の世界を見事に描いたのが、このドラマ『関ヶ原』でした。 (【『関ヶ原』を観る!】さんより引用させていただきました) 製作はTBS。放映されたのは1980年の元旦だそうですから、もう27年も前。以前録画しておいたビデオがあるので夜の暇つぶしに見たんですけど、このドラマ、何が凄いといってその出演者。 東軍の総大将・徳川家康は森繁久弥さん。 対する(西軍の総大将はいちおう毛利輝元【金田龍之介さん】なんですけど)事実上の西軍の総大将・石田三成には加藤剛さん。 石田三成の名家老・島左近には三船敏郎さん。世界的な名優にして三船美佳さんのお父さんですね。 豊臣秀吉には宇野重吉さん。『ルビーの指輪』の寺尾聡さんのお父さん。 徳川家康の謀臣・本多正信には三國連太郎さん。こちらも佐藤浩市さんのお父さんですね。 さらに豊臣秀吉子飼いの戦国大名・福島正則役には霊界の案内人・丹波哲郎さん。 加藤清正役には仮面ライダー・本郷猛・・・じゃなくて藤岡弘さん。 九州の雄にして、朝鮮出兵の際はその武勇を恐れられた猛将・島津義弘には大友柳太郎さん。 豊臣家五大老筆頭、前田利家には辰巳柳太郎さん。 豊臣家五奉行の一人、前田玄以役には我が山形県出身の庄司永建さん。 上杉家の重臣であり、米沢藩三十万石の大名でもある直江兼続に細川俊之さん。 秀吉の正妻・ねね=北政所に杉村春子さん。 夫・前田利家と共に加賀百万石を築いたまつ=芳春院に沢村貞子さん。 家康の側妾・阿茶の局には京塚昌子さん。 第79 代内閣総理大臣・細川護煕さんのご先祖様、細川忠興には竹脇無我さん。 その忠興の妻であり、その美貌を称えられ、またその美貌ゆえに悲劇の最後を遂げねばならなかったた細川ガラシャには栗原小巻さん。 豊臣秀吉の遺児・豊臣秀頼の生母であり、織田信長の孫娘にあたる淀君には三田佳子さん。 石田三成の想い人、初芽には松坂慶子さん。 西軍の主力である若手大名・宇喜多秀家には三浦友和さん。 そして、裏切り者として末代までも名を残す事になってしまった金吾中納言・小早川秀秋には国広富之さん。 それから出雲の阿国役の木の実ナナさん。 出雲の阿国一座の居候にして、かつては『槍のさんざ』と称えられた名古屋山三に三浦洋一さん。 キリシタン・原マルチノに田中健さん。 さらに国友鉄砲鍛治の頭役に笠智秋さん。 農民の老婆役に浦辺粂子さんなどなど、数え上げたら切りがありません。サイトがありましたので、参照してください(関ヶ原) 一緒に見ていたカミさんに、 「何、この出演者!映画なの?凄い人ばっかり出てるねェ」 と聞かれてしまいました(笑) 義の人、石田三成役の加藤剛さんはまさにピッタリ。 それと同じぐらいにピッタリだったのが狸親父・徳川家康役の森繁久弥さんと、その家康の謀臣役・三國連太郎さん。 この二人の密談は実に凄い。ぼそり、ぼそりと会話する、その言葉の裏側の腹黒さ(苦笑)。 初芽役の松坂慶子さん、キレイだったなァ。それに栗原小巻さんの気品のある美しさ。 共に出家して尼僧となった北の政所(杉村春子さん)と芳春院(沢村貞子さん)の、尾張弁丸出しの会話も面白かった。年輪を感じさせる、実に深い会話でしたねェ。 この年になって関ヶ原を見て、思いました。 人生は『決断』の連続です。ましてやこの戦でどちらにつくかの決断は、己のみならず自分の家族や家臣、さらにその家族の生命までも左右してしまいます。まさに、大勢の人の人生を賭けた闘いです。 それだけに重い。 豊臣家への忠義、『義』を掲げて智謀の人、徳川家康に挑んだ石田三成。 彼に担ぎ上げられて総大将になったにも関わらず裏では家老・吉川広家が家康に内通し、関ヶ原戦後、西国11カ国の大大名から防・長二州に減封された毛利輝元。 石田三成の『義』の戦に対して最後まで悩んだ(西軍に勝ち目は無いと踏んでいた)揚句、三成との友情を選んで戦場に散った名将・大谷刑部少輔吉継。 豊臣家のためと信じて徳川方に味方した秀吉子飼いの大名・加藤清正と福島正則。戦後加増されるも、その後、結局両家とも改易になりました。 豊臣秀吉の正妻・北の政所の甥でありながら重要な場面で裏切った、金吾中納言・小早川秀秋。 彼の最後は悲惨で、いわゆる狂い死にです。 真田家の場合は、本多忠勝の娘を妻にした兄・信幸が徳川方へ。そして父・昌幸と大谷刑部の娘を妻にした弟・幸村は豊臣方へ味方し、敗者である父と弟は九度山へ配流。そこで昌幸が死去。大坂の陣で幸村も華々しく散りました。 残された兄・信幸の『真田家』はその後、信州の大名として明治時代まで続いています。 さて、この長いドラマ(6時間以上!)の中で私が唯一、涙を流した場面があります。 名場面は数々あれど、たった一ヶ所だけ。しかも意外な事に、徳川家康が出てくる場面なんです。 明日には伏見城を発って上杉討伐に向かおうという、その夜。 場所は伏見城最上階、天守閣。 主君・家康(森繁久弥)の向かいには、彼より三歳年長にして、幼少の頃から彼に仕えた伏見城留守居役・鳥居彦右衛門(芦田伸介)。 家康が伏見を発ったのち、もし三成軍が挙兵した際にまず標的となるのはこの伏見城である。 その伏見城の留守居役ということは、とりもなおさず『死』を意味する。しかも、ただ負けるわけにはいかない。徳川軍の強さを思う存分西軍諸将に見せつけるような戦い方をしなければならない。 昔話をしながら、静かに酒を酌み交わしす主従。 「(守備のために)何人必要じゃな?そちが望むだけ置いて行くぞ」 その問いに、 「殿が出立ののち、もし敵の大軍がこの城を囲むようなことになれば、近くに後詰めを頼むお味方もおらず、とても防戦は出来もうさぬ。この先、殿にとって人数は幾らでも必要になり申す。その貴重な人数を裂いて少しでも城の守りに残すというのは、無益と存ずる」 と答える。苦渋の表情の家康。 しばらく酒を酌み交わしたあと、彦右衛門、杯をちょっと推し頂くとその杯を刀の柄で割る。 「もう寝(やす)まれませ」 と立とうとするが、足が不自由なためになかなか立てない。思わず手を貸そうとする家康に、 「なんの!大丈夫でござる!」 と、足を引きずりながらも気丈に退出する彦右衛門。 (あの足は・・・かつての戦の際にワシの身代わりになって・・・) 独り、複雑な思いで彦右衛門を見送ると、突然、両手で顔を覆って泣く家康。 このシーン、前に見た時も泣いたんだよなァ。このシーンが何故か一番好き、というか感動した場面なんですよ。 そして、最後に近い場面。三成の死(処刑)を聞いた時の家康のセリフ。 「豊臣家子飼の大名達、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面、心が、冷えたわ・・・せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう・・・これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれれば良いが。義、忠義の家臣にのう」 数珠を握って瞑目する家康。 石田三成の『義』『忠義』の心を最も信じ、理解していたのは、ひょっとしたらそれを利用した家康だったのかもしれません。

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