みかんの木を育てる-四季の変化

2011/08/29(月)20:59

天下統一のきっかけとなった群馬県・名胡桃(なぐるみ)城

チョットひと旅(82)

群馬県・月夜野の名胡桃(なぐるみ)城址に 行ってきました 8月27日-28日、群馬県のみなかみ町・湯宿温泉に行ってきました。 宿泊した金田屋さんの御主人は、大の郷土史の造詣者でもあります。 翌日には、わざわざ、なにしおう「名胡桃城」址ですが、 当方としては、初めてでしたが、ドライブして、現地を案内していただきました。名胡桃城というのは、利根川と赤谷の合流したカ所の高台にあります。 位置は、群馬県みなかみ町月夜野になるかとおもいます。 沼田の平野を見渡せる位置にある、台地のとつたんの山城です。 その城跡には、今、案内所が出来ていて、たくさん資料が並べられていました。 さらに郷土史家の方が、城跡の現地に説明をしてくれていました。この地は、戦国時代には、各有力勢力が角を突き合わせていたんですね。 北からは越後の上杉謙信、西からは信濃・甲斐の武田・真田勢、南からは小田原の北条勢と、それぞれの勢力が時々の力関係で、ぶつかり合っていたところだったんですね。今回、日曜農夫も認識を新たにしました。 というのは日曜農夫のみかん園は、小田原の近く、真鶴にありますが。 小田原の北条氏と、この群馬の月夜野・名胡桃城とは、大きな縁があったんですね。 豊臣秀吉は1590年に北条氏の小田原城を破ることで、事実上の天下統一をはたしました。 じつは、豊臣連合軍の北条氏討伐のきっかけ(口実)となったのが、この名胡桃城をめぐっての、真田氏と北条氏との争いだったんですね。関東の北にある小さな山城の攻防が、秀吉の発した「惣無事令(そうぶじれい)」、私闘を禁じるとの命令・措置に反したということで、北条方が措置に反して名胡桃城を奪い取ったこと。 その小さな出来事が、関東の覇者-小田原・北条氏を攻めるための、豊臣連合軍の小田原攻めの大義名分となったということなんです。 関東の南西のはずれにある小田原と、関東の北のはずれにある群馬の月夜野、その小さなトラブルをとらえた大阪の秀吉陣。 一つの大きな時代の流れの中で、ここがきっかけとなったんですね。 実際の名胡桃城というのは、そこに立ってみると、いたって小さな山城です。 利根川をはさんで、遠方には相手となった沼田城があります。 郷土史家たちは、この史跡を壊すことなく、大事に保全していたんですね。 おおきな石碑が堂々と建てられています。心意気が伝わってきます。 たいした先見の明と、歴史の造詣のほどを感じさせられました。名胡桃城については、詳しくは、 みなかみ町観光協会 0278-62-0401 名胡桃城址案内所 0278-62-0793 へ、問い合わせてください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%83%A1%E6%A1%83%E5%9F%8E 

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