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武蔵野航海記

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2006年09月02日
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支那が三国志の戦乱時代だった3世紀初めの日本はまだ統一された状態ではありませんでした。

その200年ぐらい後の400年頃には日本にも王が現れてきました。

朝鮮と満州の国境を鴨緑江が流れていますが、ここに高句麗の好太王が建てた石碑があります。

それには、391年日本軍が朝鮮で高句麗軍と戦ったことが書かれています。

また、413年から502年にかけて、日本の王が支那の皇帝に使者を遣わしたことが書かれています。

ですから紀元400年頃には、日本は海外遠征できるだけの力を持った王がいたことがわかります。

ただしこれらの王は、官僚と常備軍を持った強大な王ではなく、有力氏族連合のボスという存在でした。

当時、王位を巡って有力者どうしの内戦が何回となく起こっていることからわかります。

また、これらの日本の王が日本書紀のどの天皇にあたるかについては多くの説があります。

562年には南朝鮮にあった日本領の任那が新羅に滅ぼされてしまいました。

日本が朝鮮に侵略されたわけで、こういうことを日本人はちゃんと知っておく必要があります。

隋書という支那の歴史書には、608年に倭王(日本王)のアメ・タリシヒコが隋の皇帝に使いを送ってきたことが書いてあります。

「日出ずるところの天子、書を日没するところの天子にいたす。つつがなきや」とアメ・タリシヒコが支那の皇帝と対等な手紙を書いたことで有名です。

支那の皇帝は自分と同格の存在を認めませんからこの手紙に怒りましたが、当時の国際情勢から日本と喧嘩をすることが出来ず、下級役人を答礼に日本に派遣しています。

支那の役人は日本に来て実際にアメ・タリシヒコに会っています。

アメ・タリシヒコにはキミという妻がいて、ハーレムに多くの女を抱え、リカミタフリという名の跡継ぎがいたと報告しています。

日本書紀ではこのときの天皇は推古天皇で、聖徳太子が摂政をしていたと書かれています。

支那の役人が会ったのは中年の男だったのに、日本書紀では天皇は女だったと書いています。

支那側が女を男だったとウソをついてもなんのメリットもありませんから、日本書紀はウソをついています。

つまり推古天皇・聖徳太子の家系はこのとき日本の王ではなかったのです。

608年以後の何時かの時点で日本の王の家系が交代したのです。

このへんの詳細は私の本かブログ「日出づる処の天子」を見てください。

次回に続きます。





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最終更新日  2006年09月03日 09時15分55秒
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