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「あるべきようは」という日本人の根本的な発想に気が付いた時、私はそれがどういう経緯で出来たのか分かりませんでした。
ただ明恵上人が華厳宗の高僧だということをヒントに仏教の勉強を始めました。 そして「仏性」というものに思い至ったのです。 そうなるとなんとかして「仏性」を理屈ではなく感触で感じたいと思うようになり、仏教の本場である京都に移住しようと考えたのです。 京都郊外に引っ越して三日目に飼い犬のタローが瀕死の重傷を負いましたが、このときに私は予想外にうろたえました。 単なる動物だとそれまでは割り切って考えていたのですが、実際に飼い犬の運命を決断する時になって、見捨てることが出来なかったのです。 ペットに関してはよく「ラブ・ロス」という言葉が使われていますが、わたしの場合は相手がペットだという感覚ではなく、タローの命がかけがえのないもののように感じました。 うまく表現できないのですが、このときの私は「タローは犬で私は人間だ」という区別をしていなかったようです。 私がタローに感じたのが、仏教でいう「仏性」なのかどうかいま少し考えてみる必要はあります。 しかし、引っ越した直後に「仏性」を深く考えさせられた事件に遭遇したわけです。 なにか「仏性」や「仏教」の方から私に接近しているような具合になっています。 こういった事情なので、いまだにゴタゴタとした状態ながら「飼い犬騒動記」をブログに書きました。 「西洋哲学を読みました」は中断したままになっています。 私の頭の中は「仏教モード」になってしまっていますが、落ち着いたらがんばって「西洋哲学を読みました」を再開します。 その後、京都市内で四季折々に感じたことや仏教のことなどを書いていこうと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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