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ルソーは人間の感情というのを最重視し、人間の感情の発露を押さえつける因習に反対しました。
君主や貴族に対する軽蔑、金儲け対する軽蔑などです。 またロマン主義というのは「崇高」「偉大」が好きで、偉大な人物を待望します。 因習に対する軽蔑と偉大な人物の待望が結びつくと一つの政治思想になります。 ムッソリーニやヒットラーのファシズムというのはこれでしょう。 ファシズムは「国家社会主義」で、一方で金儲けに対する軽蔑や貴族・金持ちに対する嫉妬心を満足させますが、これらのすぐれた政治を行うのが偉大な指導者だという図式になっています。 革新と独裁が同居しているのです。 ファシズムというのは、ロマン主義の政治的表現だと思います。 戦前、日本とドイツ・イタリアは同盟を結び共に戦争に負けました。 そこで日本をドイツやイタリアと同じファシズム国家だったということにしたい者がいます。 しかし、東条英機や近衛文麿はヒットラーやムッソリーニと並ぶ絶対的な権限を持っていたとはお世辞にも言えません。 そこで天皇を持ち出して「天皇独裁」と言い出しますが、天皇が政治にタッチしなかったのは承知の事実ですからこの説は成立しません。 つまり戦前の日本はファシズム国家ではなかったのです。 それは日本のロマン主義がヨーロッパのロマン主義とは違っていたからです。 日本の民主主義や儒教が本場物とまるで違うように、ロマン主義も本場と違うからです。 ロマン主義は本場では、「実在」という独立して存在し永遠に変化しないで存在し続けるものの追及に疲れた反動として生まれたものです。 しかし日本には実在の追及という伝統はありません。 むしろ、「諸行無常」で永遠に変わらない実在は存在しないという仏教思想が主流です。 戦前の体制というのは、日本古来の「同じ釜の飯を食う仲間」は一族だという運命共同体の集合だったのです。 その中で最強の運命共同体である陸軍が自分たちの利益を主張したというだけのことで、それと幕末からの伝統だった「大東亜共栄圏」が結びついただけです。 余計なことを長々と書いてしまいましたが、現代のファシズムにいたる流れの最初にルソーが居たということを私は言いたいのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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