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カントは「純粋理性批判」という理解するのが極めて難しい本を書きました。
この本で言わんとしているのは、知識の一部は先天的なもので経験によって得られるものではないということです。 歴史上の事実や科学的知識というのは、経験によって得られるものです。 その一方、2+2=4という計算は、一度それを理解してしまったらその後は検証する必要はありません。 一度知ってしまったら、それが経験以外に基づくことが分かるというものです。 そして因果関係は先天的な知識だと言うのです。 つまり、善悪とその結果という因果関係は人間が先天的な能力によって理解するわけで、これが道徳だというわけです。 こうしてカントは、倫理的に行動しなければならないと主張するのです。 外界は眼や耳を通じて色や音などの情報を我々に送りますが、それを理解できるのは精神に備わった一種の装置があるからで、この装置は先天的なものなのです。 この精神の中の装置は、外界からの情報を時間的・空間的に整理して我々が理解できるようにするわけで、別に物自体を認識できるわけではありません。 時間と空間は主観的なもので、我々はそれを直観するのです。 ヘーゲル(1770~1831)はカントの弟子ですが、弁証法で非常に有名です。 弁証法というのは、分離されたものは不完全であり、それらが統合されるにつれて完成度を増していくという理論です。 彼の有名な言葉に「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である」というのがありますが、ここで言う「現実的なもの」というのは統合され完成度を上げたものを指します。 こうして統合された全体を「絶対者」としていますが、これこそが実在するものです。 彼は「実在」を弁証法で説明しています。 「実在」というのは他から影響を受けずに独立して存在するものです。 父というのは実在ではありません。 子供があって始めて父親といえるわけであって、父は子供を前提としています。 つまり父という概念は子という概念に依存していて、「他とは独立して存在するもの」ではないからです。 子供も実在ではありません。子供は父親を前提としているわけです。 父と子を総合すると完成度が増して「実在」に近づくのです。 父と子以外にも甥や姪を加え、最後には全人類や宇宙を統合してはじめて実在になるというわけです。 つまり全体にならない限り「実在」ではないということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月18日 07時21分13秒
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