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キリスト教や仏教は、生きている人間同士が平等だとは決して言っていないし、人間と動物や植物が同じレベルにあるとも言っていません。
ところがキリスト教や仏教の教理を利用して、人間の平等や動植物と人間は同じレベルだという説が出てきました。 西洋ではキリスト教の教理を利用して、人間の権利と義務はどんな人でも同じになるべきだという方向に進んでいきました。 ただし人間と動物が平等だということには一切なっていません。 この西洋流の発想は「民主主義」という名前で日本にも押し寄せています。 仏教ではこれとは全く違った方向に進んでいきました。 仏教のもっとも基本的な考え方は、「実在するものは無い」というものです。 「他に依存することなくそれ自身で存在し、永遠に変わることがない」というものは存在しないのです。 このことから魂も実在しないという結論が出てくるわけで、どんな宗派でも魂の存在を正面から認めることはありません。 その一方で輪廻転生という現象は認めています。 輪廻転生というのは永遠に存在する魂が次々と新しい人間に生まれ変わるという考え方ですから、魂が実在しなければなりたたない発想です。 こんなわけで仏教では輪廻転生の理屈付けに非常に苦労しています。 また仏教は悟りを開いて輪廻転生の苦痛から脱却すること(解脱)を目的としていますが、これには厳しい修行が不可欠です。 厳しい修行を出来るのはプロの僧侶だけで俗人には無理ですから、結果的に解脱出来るのは僧侶だけになってしまいます。 実際に小乗仏教ではこの考え方です。 しかし大多数を占める俗人が救済されないというのは現実問題として困るわけで、なんとか修行できない俗人も救済される方法が考え出されました。 これが大乗仏教で、「仏性」というものを考え出しました。 どんな人間も等しく「仏性」を備えているので、厳しい修行をしなくても簡単なこと(例えばお布施をするとか、ありがたい説教を聴くとか、南無阿弥陀仏を唱えるとか)で救済されるというものです。 魂は実在しませんから「仏性」は仏の魂ではありません。 ダルマ(宇宙のルール)とでも言うべきものだと私は思っています。 あらゆる人は宇宙のルールを内に秘めているので、外部からの働きかけに仏性が反応し救済されるわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月09日 05時43分48秒
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