カテゴリ:カテゴリ未分類
桓武天皇というのは非常に興味深い人物です。
大化の改新という古代の大クーデターを起こした天智天皇のひ孫にあたります。 もっとも最近は大化の改新は後世のでっち上げで、そんなものはなかったという学説が勢いを得てきています。 天智天皇が死んでその息子が即位した時に、天智天皇の弟とされる大海人皇子が反乱を起こしました。 そして甥にあたる天皇を殺し天武天皇として即位するという事件が起こりました。 この反乱が壬申の乱で、当時の豪族を巻き込んだ大規模な内戦でした。 天武天皇が天智天皇の弟だというのが非常に怪しく、赤の他人だったという説を唱える学者もいます。 私も天武天皇と天智天皇は赤の他人だったと思います。 即位後の天武天皇は新しい王朝の創設者として振舞ったのです。 国名を倭から日本に変えましたが、こういうことは東アジアでは支配者の家系が交代した時、即ち易姓革命が起きた時にすることです。 朝鮮の歴史書では、日本で王朝が交代したという記事が書かれています。 また、天武天皇は律令制度を導入して国家組織を作り変え政治を一変しました。 さらに日本書紀という歴史書を編纂しましたが、これは自分が天皇の位を簒奪したことを隠し自分の子孫に帝位を確実に伝えるためにやったことです。 天武天皇やその子孫の天皇の下では、天智天皇の子孫は日陰の存在でした。 天智天皇の孫に白壁王というのがいて、やはりうだつが上がらなかったのですが、なんと天皇になってしまったのです。 白壁王が即位して光仁天皇になったことによって、帝位はまた家系が代わりました。 この経緯は良く分かりません。 実際には天武天皇が帝位を簒奪したのに、表向きは家系は代わっていないことになっていますから、この辺の事情を正直に記録できないからです。 桓武天皇はこの光仁天皇の息子ですから、帝位の家系が変わった即ち易姓革命が起こったという意識を持っていました。 ですからそれにふさわしいことをしなければなりません。 そこで都を新たに作ることにしたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月22日 06時52分37秒
コメント(0) | コメントを書く |
|