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この国を愛し、憂う

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2011.05.16
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カテゴリ:カテゴリ未分類
私は戦後間も無く京都の祇園に生れました。

当時の祇園は情緒があり、とても好きな町でした。

祖母と母と兄の4人家族で、いわゆる女系家族でした。

銭湯に行くのが好きだったのですが、当時の祇園のお風呂は
女湯が大きく広かったのですが、男湯はそれに比べ小さく作られていました。

祖母は祇園で三味線の師匠をし、母は会社務めをしていました。

父は戦病死で、父親知らずで育ちました。

それでも祇園は父のない子供が多かったので、父がいないという事は意識する事は
殆どありませんでした。

中学1年位までは、平凡な家庭だったように思います、が2年生の頃
母が保証人になったことで、生活は一変しました。

現在でこそ、サラ金規正法があり取立ては緩和されたようですが、当時は熾烈を極めました。

午前2時頃まで怒鳴り声が聞こえ、朝は5時頃から怒声が聞こえました。

好きで入部していた野球部を止め、不良仲間と遊びまわる日々を送るようになりました。

立ち直り、又悪くなることを繰り返しながらある時
素晴らしい親分にめぐり会い30年間従う事になったのです。

現在は体も身障者1級になりながらも、懸命に生きています。

その過程を思いのまま、気が向くまま記していこうと考えています。






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Last updated  2011.05.17 00:07:09
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