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私は戦後間も無く京都の祇園に生れました。
当時の祇園は情緒があり、とても好きな町でした。 祖母と母と兄の4人家族で、いわゆる女系家族でした。 銭湯に行くのが好きだったのですが、当時の祇園のお風呂は 女湯が大きく広かったのですが、男湯はそれに比べ小さく作られていました。 祖母は祇園で三味線の師匠をし、母は会社務めをしていました。 父は戦病死で、父親知らずで育ちました。 それでも祇園は父のない子供が多かったので、父がいないという事は意識する事は 殆どありませんでした。 中学1年位までは、平凡な家庭だったように思います、が2年生の頃 母が保証人になったことで、生活は一変しました。 現在でこそ、サラ金規正法があり取立ては緩和されたようですが、当時は熾烈を極めました。 午前2時頃まで怒鳴り声が聞こえ、朝は5時頃から怒声が聞こえました。 好きで入部していた野球部を止め、不良仲間と遊びまわる日々を送るようになりました。 立ち直り、又悪くなることを繰り返しながらある時 素晴らしい親分にめぐり会い30年間従う事になったのです。 現在は体も身障者1級になりながらも、懸命に生きています。 その過程を思いのまま、気が向くまま記していこうと考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.17 00:07:09
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