・・・そば!ソバ!蕎麦!・・・酒そば本舗奮闘記!

2011/04/15(金)12:49

華の都東京であるはずが・・・。

今日あったこと(855)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ このたびの東北地方太平洋沖および長野県北部を震源とした地震により被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。 一日も早く復旧がなされ、復興されますようお祈り申し上げます。 我が身をかえりみず文字通り命をかけて原発の復旧作業に取り組む東京電力と関係会社の皆さん、そして自衛隊の皆さんの懸命のご努力が効を奏し、この危機が安全のうちに収束することを願ってやみません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 一昨日朝一番の電車で東京へ、一泊して昨日の夜無事戻ってまいりました。 この間、昨日14日の正午過ぎにやや強い揺れを感じる地震が一度ありましたが、10~12日の間余震が連続して発生していたことを思えば、それ以外に体に感じる地震がなかったのは幸いであったといえます。とはいえこの時はビルの17階にいたので、かなりゆらゆらと揺れたように感じました。ただ慌てているのは、どうも私たちのように地方から来た者たちで、東京在住の人たちは何事もなかったようにすまし顔で、揺れが収まるのを待っていた。東京で震度3の揺れであったということでした。 丁度出された昼食に箸をつけようとしていた矢先のことでしたが、食事もそこそこに切り上げ、地上に降りたのでした。 さて華の都東京ですが、東京駅に降り立っても、駅舎の照明は各所で半分消されていましたし、エレベーターやエスカレーターも節電のために停止中の案内が出されているものが多くあった。そんな中人々は今まで以上に足早に迷路のような駅舎の通路を一目散に歩いているのが印象的でした。 さらに一番の違いは、東京からガイジンさんが消えてしまったこと。街を歩いていてもすれ違いざまに中国語やハングル語が聞こえたりしたものでしたが、聞こえてくるのは日本語ばかり。我々より頭一つ飛びぬけた大柄な欧米人の姿も見かけることは少なかった。 公官庁の建物は、軒並み半旗が掲げられていましたし、とてもかっての華やかな国際都市東京の面影は見られなかった。暗くてひっそりとした大きな巨大都市という印象が拭えません。 あれから一ヶ月以上経っても、主都東京の受けたダメージが大きいことがよく分かります。 震災の復興には20年・30年のスパンで考えなければいけないと言われていますし、収束の目途さえたたぬ原発事故のことを思えば、この国の将来はただ「がんばろう」だけでは済まされないものがあるように感じました。 ◆酒そば本舗トップページへ◆ **貴方の共感できる生き方がきっとある**

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