あなたは音痴の人を目の前にして音痴だと言えますか・・・?
日経最終面文化欄の「私の履歴書」は3月1日から、元内閣官房副長官の古川貞二郎氏の連載が始まりました。人によって文章の書き方の違いがあるのは当然のことですが、自分の半生を省みる自叙伝ともいえる「私の履歴書」も、その人その人の性格がにじみ出ていて非常に興味深いものがあります。元内閣官房副長官の古川貞二郎さんは、霞ヶ関の事務方官僚トップの官房副長官を総理大臣5代にわたって45年間も務めた方と聞けば、さぞかし官僚の中の官僚、石部金吉のような堅物を想像してしまいますが、昨日の初回と本日の2回目を読む限り、ユーモアのセンスに長けた愛着の湧く親しみやすい方だということが分かります。農家の長男として生まれた古川さんは、本日の投稿ではこのように書いておられます。「・・・特に老いた父母が働き手の私の家ではそれが必要だった。私は九大卒業まで家の農作業を手伝ったが、これを苦に思ったことは一度もない。むしろ両親が喜んでくれることがうれしかった」と。また中学時代はスポーツと絵が得意だったが、書道と音楽が苦手であったとも。そのことを裏付けるエピソードが最後に書かれていましたが、これが秀逸で思わず吹き出してしまいました。過去の「私の履歴書」でも、これだけ笑ったことはない。役人になられて間もないまだお若い頃、復帰前の沖縄に出張した際に琉球政府の役人の前で黒田節を披露されたときのエピソード。ご丁寧にも学生時代音楽が苦手であったことをこんな逸話をあげて説明しておられます。古川さんの黒田節を聞かされた当時の琉球政府の役人がこう言って感心したというのです。「あなたは一万人に一人の音痴だと思う。よくぞ三番まで歌われた」と。・・・そうですか、「酒は呑め呑め~♪」と律儀にも三番まで堂々ときっちり歌われたんですね。そういうところはまさに官僚的だったと言えましょうか。(笑!地方のお役人は中央政府のキャリア官僚に頭が上がらないという話はよく耳にしますが、当時の琉球政府の役人は聞きも聞いたり、言うも言ったりだったと思いませんか?本人を目の前にしてよくぞ音痴だとはっきりと言い切ったものです。(笑!古川貞二郎元内閣官房副長官と当時の琉球政府の役人に、あっぱれ!拍手喝采を送ります。ますます明日からの「私の履歴書」が楽しみです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**