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2003年08月27日
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牧バレエのローラン・プティ『デューク・エリントン・バレエ』を見る(文化村オーチャード・ホール)。
先週の「ノートルダム」ではラカッラをベタ誉めしたけれど、きょうはあまり感心できなかった。「軽い!」のだ。要するにまた「子供の踊り(カワイイ!)」に戻ってしまったということ。前言撤回します。もちろんこれはエンタテインメント色の強い作品だが、だからといって「軽く」踊るの大間違いだ。
ラカッラの出番は3曲だったが、特に「ソフィステケイテッド・レディ」がよくない。これは、傷心から酒に溺れる女の悲哀、苦悩が、あくまで「倦怠」の煙りに包まれて(“洗練”とはそういうことだ)表現されなければならない。つまり、華やかさ・陽気さの背後に絶望感が見えてこないと、ただの「群がる男どもをうまくあしらう美女」になってしまう。それではまったく「ソフィステケイテッド・レディ」ではない。この曲をこなすには、レディ・デイ(ビリー・ホリディ)とまでは言わないが、アニタ・オデイ、いや、せめてヘレン・メリル程度の表現力は必要だ。初演でこの曲を踊ったシャーロット・タルボット(英国ノーザン・バレエ)は、テクニックの点で見ればラカッラに及ばないが、表現においてはキャラクターを正確に把握していたし、「真剣」に踊っていた。つまり、完璧な踊りだった。ラカッラは、少なくともエスメラルダと同じように気合いを入れて踊るべきだった。





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最終更新日  2003年08月29日 15時09分48秒


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