枚岡神社
枚岡神社へお宮参りに行ってきました。4人目にして初めての女の子。神様に健やかに育ちますように・・・そして顔はどうぞ息子に似ずに、お母さんに似ますように。。。と、お願いしてきました(笑)さて、この枚岡神社ですが、ご由緒によりますと創祀は初代神武天皇が大和橿原の地で即位された皇紀前3年と伝えられているとのこと。神武天皇がご東征の砌、勅命を奉じて天種子命が国土平定を祈願し、天児屋根命、比売御神の二神を本殿背後の霊地、神津嶽に祀られたの始まりだそうです。天種子命は、日本書紀に登場してくる神様のようで、ネットで調べてみると、「日本書紀」にみえる豪族。天児屋命の孫。中臣氏の遠祖。神武天皇の東征に従軍し,筑紫の宇佐で菟狭津媛と結婚したという。と、ありました。私は・・・・当然・・・筑紫の宇佐が九州のことだとは思っていません(^^)その後、孝徳天皇白雉元年(650)に中臣氏である平岡連等により、現在の場所に奉還された。称徳天皇神護景雲二年(768)に天児屋根命・比売御神の二神が春日大社に分祀されたことから「元春日」と呼ばれ、その後、経津主命・武甕槌命が増祀され四殿となった。「元春日」と言えば、私の乏しい知識の中で浮かんでくるのが「率川阿波神社」率川阿波神社は、率川坐大神御子神社と同じく延喜式に見える古社で、事代主神を祀る。奈良坊目拙解(1730)の社伝によれば、 宝亀2年(771)冬、大納言藤原是公(不比等の孫・藤原南家)の夢にいう、『吾狭井御子神也。汝の氏神建布都神と共に阿波国に住む。今皇孫命の招集により建布都神とともに帝都に来臨す。建布都神は御笠山に、吾は率川の辺に住まんと思う。宜敷之を敬うべし』と。公この夢告により、神殿を造り、阿波より勧請し、阿波神と云う事代主神も建布都神も阿波に住んでいたと思う私にとっては、ウッシッシ←(肉勢かっ)です鹿島神宮の武甕槌神も香取神宮の経津主神も千葉ですが、千葉の旧国名は安房や上総・・・天富命(安房斎部系図では天太玉の孫、後藤田家文書では天日鷲命の孫)が開拓した国です。何が言いたいかって、事代主神も武甕槌神も経布津神も、一番最初は阿波に住んでいたのですよーーーーーってこと(^^)v郷土自慢(^-^)お宮参りから郷土自慢になってしまった(笑)ご縁のあった枚岡神社、この機会にと、強引に阿波と関連付けさせていただきました。東大阪に住む二人の孫を、どうぞお見守りください。イヤイヤ・・・全ての子供たちの成長をお見守りください・・・と、好感度をあげたところで、終わりたいと思います(笑)