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シングル母のアメリカ暮らし

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さく408

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2005.07.06
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先日の日記で母がアメリカに住んでいた、と書いたら、
いくつかコメントを頂いたので、そのことを書いてみようと思う。
確かに良く考えてみると、当時の日本人にしてはめずらしいかもしれない。


私がそれを知ったのは中学生になったばかりの頃。
習ったばかりの英単語を妹に披露していたときのことだ。

「じゃあ、お姉ちゃん、トマトはなんて言うの?」
「トメイトゥ、だよ。」
「じゃあ、スイカは?」
「ウォーターメロンだよ。」
「じゃあ、きゅうりは?」
「え?・・・きゅうり・・・・・・・?」

「Cucumber」

台所にいて野菜を刻んでいた母が、発音も鮮やかにそう言った。
「え?キューカンバーって言うの?」
「お母さん、すごーい。よく知ってるね。」
「うん、だってお母さん若い頃アメリカに住んでいたからね。」


妹と私は絶句した。


それから根掘り葉掘り聞き出したのだ。


20歳の頃に、知り合いの紹介で国連大使だった方の渡米に伴って、
フルタイムのナニー兼お手伝いさんとして海を渡ったこと。
3年間のアメリカ暮らしの間に買い物やら何やらで
耳から覚えた英語を少しずつ使うようになっていったこと。
流暢とはとても言えないが、簡単な日常会話くらいは何とかこなせるようになったこと。
そのご家族がどこにでも一緒に連れて行ってくださったので、
アメリカ国内いろいろなところに旅行にも行けたこと。
でもこちらに戻ってからほとんど英語を使わなかったので、
すっかり忘れてしまったこと、など。


中でも面白かったのは、父親との新婚旅行中の話。
旅行中の箱根の食堂で、隣に座ったアメリカ人の若い旅行者が
スキヤキについてきた生卵について、これはなぜついているのか、
サービスなのかチャージされるのか等と話し合ったいたのを聞いた母は
「それはスキヤキについてくるのよ。生のまま割ってかき混ぜて
肉や野菜をつけて食べるけど、あなたたちは生の玉子を食べる習慣がないから、
スキヤキの中に混ぜ入れてしまったらどう?」などと英語で教えてあげたそうだ。
「アリガトウ」と感謝されてニッコリと前を向いて座り直したら
口をアングリを開けて固まっていた父の顔があったそうだ。
「アメリカに行ったこと、お父さんには言ってたと思ったんだけど
どうやら知らなかったみたいなのよねえ」
その時の父の顔が想像できて大笑いをしたものだ。


50年も経った今、母の英語はすっかりさびついている。
人の言っていることは何となくわかることも多いが、
こちらからは簡単な受け答えしか出来ないと言う。
でもその受け答えの発音そのものはなかなかいいのだ。
だいたい耳から覚えているわけだからそうなのだろう。
次男がレゴで何かを作っている時に
「ファラユーメイケン?」と聞いた母。
この文章が「What are you making?」という
4つの単語で成り立っていることは知らないのだ。
まるごと耳から覚えているだけだから。


アメリカから帰った時にちゃんと英語の勉強をしておけば良かった、
とやや後悔している母。
でもすぐに結婚して子供を産んで、そんな余裕もなかったし、
そんな時代じゃなかったしねえ、と言う。
今でこそ英語が話せるくらいでは就職が有利になることもないだろうけど、
母の時代だったら、きっと役に立ったはず。
もったいないよなあ、と私も思う。
夫に先立たれて苦労して、働いて働いてカラダをこわした母。
もしも英語がマスターできていたら、父が亡くなった後も
肉体労働でカラダを壊すこともなかったかもしれないのに。


50年前にサンフランシスコの方にも遊びにきたという母。
「あの頃は、綿畑が一面にあってね。」
綿畑??そんなのこの辺じゃ見たことないよ。
他の街の間違いじゃないの?と言ったら、
80代のおばあちゃんが「そうそう、昔はあったのよ」と教えてくれた。
私のまったく知らない50年代の古き良きアメリカを知る母。
少なくとも当時のNYクイーンズはのんびりした安全な街で
人々はみな笑顔で優しかったという母。
そんな昔のアメリカを知る母がちょっとだけまぶしく見えた気がした。



本日の献立…餃子、豆腐と野菜の炒め物、レタスとニンニクの炒め物、玄米





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Last updated  2005.07.06 15:07:31
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