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テーマ:スローライフ(924)
カテゴリ:母のひとりごと
私はテレビをあまり見ない。
一番の大きな理由は、アメリカにいるから。(笑) 集中してないのに耳から自然に入ってくるほど 私は英語力に長けてない。 テレビを見るという事は私にとっては娯楽だから、 頭もカラダもゆるゆるに弛緩した状態で見たいのだ。 英語だと集中しなくちゃいけないから、 たとえコメディのようなものでもそれなりに疲れる。 たぶん日本にいたら、それなりに見ていただろうと思うけど。 でもどちらにしても見る時はちゃんと見る、というタイプなので、 つけっぱなしにして何かをするという事はない。 私は周囲の雑音がけっこう気になる方なので、 やたらと聞いてもいない音楽がBGMでかかってたり、 電子音のおもちゃがピコピコいってたりするのが苦手だ。 だから子供のおもちゃもほとんど電池入っていないし(笑) そもそも電池の必要なタイプのおもちゃを持っていない。 いちおうテレビ本体とビデオ、DVDはあるので、 子供が寝静まった後のお母様のお楽しみでたまに日本のドラマなどを見る。 でもケーブルにつないでいないのでテレビ番組は何も見られない。 子供達の学校がなるべくテレビを見せるなという考えなので、 うちのルールとしては長期休暇の日のたまの週末くらい。 でも父親の家では、学校が一応良しとしている金曜日に限って 時々何か見ているようだけど、まあそのくらいは構わないと思う。 普段テレビを心ゆくまで見ていない彼等は 何を見ても楽しいようで、それはそれは楽しみにしている。 テレビがあれほど特別な存在になるのは、 昔の、各家庭にテレビのなかった時代の子供みたいだ。 それでももう少し大きくなったら 今ほど制限しなくてもいいと思っているけれど、 テレビを見ないで育った子供達の多くは、 大きくなるとそれほど興味を持たなくなることも多いようだ。 今はガツガツしているけど。(笑) 「テレビを見せないなんて可哀相」という人もいるけれど、 まったく見せていないわけじゃないし、 また子供にはそれに取って代わる色々な楽しみがあるはずだ。 テレビしか見ないから本を読む楽しみを知らない子がいたら それはそれで可哀相な気もするし、 コンピューターやビデオゲームしかしたくないから 外で遊ぶのは退屈で嫌だ、という子供も現実に回りにはいて、 それはそれで何だかもったいないなあ、という気もする。 外で遊ぶ楽しさなんて、もう少し大きくなったら どうでもよくなるんだから。 実際ブランコで楽しんでいる16歳がいたら怖いし。(笑) きのう友だちと公園で思い切り遊んだ2人は、 今日はお部屋の掃除を命ぜられ、渋々掃除した後は、 今日は家で遊びたいと言っていた。 で、午後の数時間に2人がした事。 クッションと毛布で作る要塞制作 (これはいつも2段ベッドで作られる) 次男が毛布をかぶってはいずりまわる「なまこごっこ」 (最近なまこがブームらしい) 鉛筆と紙で1ドル札作り (長男のできばえは素晴らしい、法に触れそうなくらい。 次男のは・・・・誰もお札だとは思わないだろう) 古いプリンターの解体と組み立て ドライブウェイで自転車とキックボード 剣道の素振り(笑) ダーツ王者決定戦 チェス そして食事の後は長男は読書、次男は編み物をしていた。 その合間に長男はピアノをちょっと練習したけど、 とにかく遊びたくて遊びたくて仕方がないらしい。 次から次へとあれもこれもやりたがる。 基本的に子供は遊ぶのが仕事だと思う。 学校の方針で宿題がほとんどない息子達は 思い切り遊ぶことができるのだ。 勉強は後からでもできる。 現にほとんど宿題もせずに遊びほうけて育った、 息子の学校の卒業生達だって、 きちんと大学には行けているのだ。 だったら今は遊んだ方が楽しいじゃないか。 テレビやゲームも娯楽なので遊びのうちに入るのだけど、 何となくとても受動的な感じがするので、 やっぱりあまり子供が小さいうちは、 せっかくの子供の遊ぶ力を伸ばせないんじゃないかなあと思う。 もちろん制限して見せるのはいいと思うけど。 先日お邪魔したあるお母さんは、 「こどもにもある程度テレビやビデオを見せないと、 私が休めないのよ。(小さい子供が4人いる) それにおもちゃだけだと家の中がすごく散らかるの。 あなたはよくテレビなしで我慢できるわね」と言った。 彼女の気持、とってもよくわかる。 本当に便利なものなのだ。 子供がうんと小さい頃、私も時々夕飯時に見せていた。 おとなしく見ていてくれるから、とても助かった。 そういう意味で「テレビにお守りをさせるな」と いう意見はとても私にだって言えない。 そういうことを言っている人は、 現場の母親の苦労を知らないのかもしれない。 それで親子が幸せなら何だっていいのだ。 それでも、時にはテレビを消して一緒にご飯を作るなどの 時間があってもいいような気がする。 東海林サダオさんのエッセイに、おはぎを作るというのがあって、 「そうやって昔の子供は母親に命ぜられ、 おはぎ作りの手伝いなどを必ずさせられた。 昔の子供はもっと母親と一緒に時間を過ごしていたのだ」 という内容の事が書かれていて、なるほどなあと思った。 今は親も子供もいつも忙しい。 だからそんな悠長な事を言ってられる時代じゃないのかもしれないけど、 これだけははっきり感じるのだ。 テレビを見ている1時間、見せている1時間は 親子のどちらにとってもあっという間だ。 でも何かをしている1時間というのは それなりにゆっくり過ぎて行くような気がする。 この1時間の差はけっこう私には大きい。 1時間のテレビを見終わった後、私は何か物足りなさを感じる。 子供が「終わったー」と言って来たら、 「え。もう??」とガッカりしてしまう。 でも何かをしっかりやった後の1時間は、 心地よい疲れ、満足感、そんなものが 生まれる事だってあるのだから。 気のせいなのかもしれないけれど、 テレビを見なくなった事、 子供に見せなくなった事で 私たちの家族が得たものは、 それなりに小さくはないような気がする。 本日の夕飯:庶民寿司(かにかまとツナと野菜の手巻き寿司)、豚の角煮、野菜スープ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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