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カテゴリ:母のひとりごと
今日は昔の思ひで話。
いつごろから出没し始めたのか ぜんぜん記憶にないんだけれど、 気がついたら紙芝居のおじさんが公園に来ていた。 私はその団地内の公園の、隣の棟に住んでいたので、 おじさんが拍子木を鳴らすたびに 「あ、きた!」といって飛び出していった。 おじさんは日焼けしてしわくちゃで、 愛想も何もなく、むっつりと怖い顔をしていた。 退役軍人なのかもしれないけれど、 古ぼけた、耳つきの飛行機野郎系の帽子をかぶり、 全体に薄汚れたアースカラー系のファッションで身を固めていた。 今思えば新宿あたりのストリートをを根城に生活している、 レゲエおじさんともそう変わらない雰囲気だったかもしれない。 おじさんは別に子供たちが菓子を買おうが買うまいが、 気にせず紙芝居をやってくれた。 野太い、ガラガラの芝居がかった声で紙芝居をする。 紙芝居の最後には必ずクイズがあって、 それに答えられた子はいつも何かお菓子をもらえた。 箱の中にはさまざまなものがあった。 ピンク色の薄いシート状の小さな四角の中に いろんな字や模様があって、それを少しずつ 指で削り取っていくのは「ヌキ」。 必ず細く、難しいところがあって、 その難関をクリアし、きちんと模様を抜いていくと、 水あめや、いかがわしい「ジャム」やら ソースせんべいなどでいろんなものを作ってくれた。 同じようにニッキ味の飴がシートになった「ナメヌキ」。 四角い菓子の中に穴をいくつか開け、 その穴がたくさんあればあるほど、 レベルアップした菓子をもらえる「マンボ」。 子供たちは少ない小遣いをずいぶん貢いだものだ。 考えてみれば、都営団地の貧乏人の子供たちが持っている小遣いなど タカが知れているというのに、おじさんは何故かいつも、 ややインカムレベルの高い、公団住宅のほうにはあまり行かず、 私の住む都営団地のほうによく出没していた。 おそらく公団住宅のお母様方のほうが 「あんな不衛生なものを買ってはいけません」と 子供に言い渡す率が高かったのではないかと推測される。 そこへいくと都営団地の子供たちは、 あまりそういう制約を受けずに 小銭を握り締めて紙芝居のおじさんのところに 飛んでいけたのかもしれなかった。 あんなきったならしい子供たちを相手に 小銭で勝負しているおじさんというのは 今考えてみるとどういう存在だったのだろう。 おじさんがにこりともしない、強面だったのに 別に子供たちは怖がりもしなかった。 ずるをして叱り飛ばされた子供たちもいたっけ。 私はおじさんは子供が好きではないんだろうと思っていたけど、 大人になってみると、子供が嫌いな人に あんな商売はできないだろう事がよくわかる。 テレビに比べて紙芝居は、刺激のある内容でも 特に面白いものでもなかったけれど、 公園について自転車を止め、拍子木をたたいて 子供たちを待つおじさんの姿が最近やけに思い出される。 そんな私は今、紙芝居の絵を描いているのだ。 ところでこんな話をしていたら友人に 「さくちゃんて私と同じ年だったよね、確か。 なんだか信じられないわ、いつの話なの」と 出生の時期を疑われてしまった。 そんな私は昭和30年代の生まれであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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