今ごろですが…
3月24日長女の誕生日です。に、母の命日が加わりました…重度の肺気腫でした。こんなにひどい状態だったなんて、知りませんでした。救急車で運ばれて、3日ほどの命でした。部屋に運ばれてから、少し落ち着いて、話も出来て…でも、酸素が身体中に回らず腰から下がだるいと必死で訴え、呼吸も苦しくなり、酸素マスクと睡眠薬…酸素が吸えないということは、二酸化炭素が吐き出せないということのようです。酸素を吸わなければ苦しい。でも吸うと死期が早まる…意識が遠退く間に発した言葉は、「お水ちょうだい」「ご飯食べたい」「お父さん」最後は、弟が一人で見送ってくれました。私と違って、弟は自慢の息子でしたから…弟の泊まりの日を待っていたのでしょう。その日は、病院から、家までの一時間の距離を3往復しました。最後は、待ってはくれませんでした。70歳に、あと数日というところで…あまり母親らしくない人でした。「おかあさん」一度も呼んだ覚えはなく、手をつないだ記憶もない母ですが、おばあちゃんは立派にやってくれました。よく喧嘩もしました。「ありがとう」も、「ごめん」も、花に囲まれた小さな顔に向かってしか言えませんでした。「また、夢にでも出てきいな。美味しいもんでも食べながら、話しよ…」